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CEOが語る知財

株式会社Aster 代表取締役CEO 鈴木 正臣氏インタビュー
独自の耐震補強“塗料”で地震犠牲者をゼロに。世界のビルの建て方を変えるため標準化を目指す

株式会社Asterは、世界の地震犠牲者ゼロを目指し、石やレンガなどを積み上げて造る組積造(そせきぞう)の建築物の耐震補強技術を開発するスタートアップだ。海外展開へ向けた事業戦略および知財戦略を構築するため、2021年度の「知財アクセラレーションプログラム(IPAS)」に参加。大手企業によるフィリピンでの都市開発プロジェクトに参加するなど、ASEANでの事業展開を進めている。事業展開や知財の考え方などについて代表取締役CEOの鈴木正臣氏に伺った。

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株式会社Aster 代表取締役CEO 鈴木 正臣(すずき・まさおみ)氏
1978年静岡市生まれ。米国留学中に父親が病に倒れ、経営支援のために緊急帰国。家業である建設会社株式会社エスジーでは技術開発に従事。そこで開発した特殊樹脂をベースに、東京大学生産技術研究所 目黒研究室の山本憲二郎氏と共同研究し、世界人口の約60%が居住するという組積造の建物の耐震補強技術を確立。
世界中で組積造の地震犠牲者ゼロを実現すべく2019年に株式会社Asterを創業。

独自の高強度樹脂コーティング材で耐震性を強化する

 株式会社Asterは、“地震被害者ゼロ”をミッションに掲げ、組積造の建築物を耐震補強するための補強設計、および補強に用いる高強度樹脂コーティング材「Aster Power Coating」を開発・製造している。

 インタビューの冒頭、鈴木氏は2016年にイタリア中部地震の被害調査に訪れた際の写真を見せながら、起業した理由を説明してくれた。

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画像提供:鈴木正臣氏

「先進国でもたった一度の地震で街がこのようになってしまう。この付近だけで300人ほどが埋まって亡くなったという現場で、非常に衝撃を受けました。これを見たとき、自分の人生をかけてこの問題を解決しないといけない、と覚悟してAsterを起業しました」(鈴木氏)

 地震の多い日本では鉄筋コンクリート造や耐震性に配慮した木造軸組が普及しているが、世界的には石やレンガを積み上げただけの組積造が主流であり、高層ビルでも柱と梁のみ鉄筋コンクリートで、壁面は組積造で建てられているものが多いという。

 Asterが開発した高強度樹脂コーティング材「Aster Power Coating」は、アクリルシリコン樹脂を基材にグラスファイバーを混合した塗料で、組積造建築物に塗ることで耐震強度を高めるものだ。組積造の壁に塗装して2週間ほどおいて乾燥させると、曲がったりしなったりする柔らかさがありながら強度のある“塗膜”ができる。FRP(繊維強化プラスチック)やCFRP(カーボンファイバ強化プラスチック)とは異なり、柔軟性があるため変形に強い(変形能に優れる)というのが特徴だ。壁の表面に塗装するだけで、簡単かつ低コストに耐震補強が可能になる。

「耐震性には3つの理論があります。1つ目は剛性を高める方法。2つ目は揺れをサスペンションのようなもので吸収して減衰していく方法。3つ目は変形能の向上です。変形能の向上は産業化されておらず、我々はここを深掘りしました」

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 組積造の壁は地震による横方向の揺れに特に弱く、簡単に崩れてしまう。壁がなくなると建物自体の強度も一気に低下し、その結果「パンケーキクラッシュ」のような建物の急激な崩壊が起こってしまうという。

「逆に言えば、壁が崩れなければ強い建物になるわけです。壁として積まれた石やレンガを支えるためだけなら、それほど大きな力はいりません。変形しても元に戻るゴムのような塗膜(コーティング材)で壁をコーティングすることで壁の崩落を防ぐことができます。柱や梁を太くして鉄筋量を増やす事で剛性を高めようとすると多額のコストがかかりますが、コーティング材を壁に塗るだけならコストを抑えて耐震性を向上できます」

 このコーティング材はもともと、鈴木氏が家業の建設会社で建物のコンクリートの亀裂や爆裂を防ぐために開発したものだという。都市震災軽減工学を研究する東京大学生産技術研究所の目黒公郎教授が「地震対策に使えるのでは」と着目し、目黒研究室に所属していた山本憲二郎氏と共同研究を始めたそうだ。

 当時の鈴木氏は建設会社の2代目社長で、最初は社内の一事業とする予定だったが、山本氏とピッチコンテストやアクセラレーションプログラムなどに参加していくうちに、スタートアップの魅力とイタリアの被災地を目の当たりにして起業を決意したという。

「私の知っている中小企業の経営と、スタートアップは対極くらいに考え方が違います。しかし、本当に世界のいわゆるディープイシューといわれるような課題を解決するには、スタートアップという手段を使うほうが有益だと考えました」

フィリピンでビルや学校の耐震補強に取り組む

 ASEANでの事業展開を目指すAsterは、フィリピンで野村不動産が現地財閥と行う都市開発プロジェクトにおいて、ビル建設の際に「Aster Power Coating」を採用するよう現地企業への提案に取り組んでいる。

 マニラでは地震の発生頻度も高く、30年以内に大地震が起こるといわれているという。同プロジェクトは、フィリピンの富裕層を対象に、日本の耐震・免震技術などを取り入れた高層ビルや複合施設を建設するという大きな事業だ。

 鈴木氏もマニラに何度も赴き、現地パートナー企業に「Aster Power Coating」の特徴や耐震性の高さなどを紹介。「Aster Power Coating」の効果を最大限に発揮するために、同プロジェクトで建設予定のビル群第一棟の建設段階から関わることを提案し、現地の技術担当者と議論を重ねているという。技術担当者は建物の構造解析も行ったうえで「Aster Power Coating」の性能を認める一方で、やはりコストを課題として挙げたという。「阪神淡路大震災級の地震が2度来たとしても大丈夫」と説明するも、オーバースペックだと言われたことも。とはいえ、コーティング材を相手の望む量に減らしたり、コーティング材を納入するだけで塗布するか否かを現場任せにしてしまったりするわけにはいかない。

 鈴木氏としては、たとえ今回は利益が少なくなったとしても、導入されれば、Asterのミッションである「人命を救うことにはつながる」と考え、このプロジェクトをきっかけに耐震性への意識が高まることを期待しているという。

 このほかにJICA(独立行政法人 国際協力機構)と連携して、フィリピンの公共事業道路省(DPWH)に対し、現地の公立学校校舎の耐震補強に「Aster Power Coating」の活用を提案している。

 フィリピンでは2012年の学制改革で義務教育期間が延長され就学率が上昇したことなどから、教室が足らず、老朽化した校舎を使っているケースがあるという。そこでJICA協力のもと、建て替えずに耐震補強できる「Aster Power Coating」が役に立つと提案、DPWHの担当者たちも関心を寄せた。

 そこで実証のために、DPWHの協力でフィリピンで実際に使われている建材を日本に取り寄せ、現地の一般的な壁を実寸で再現。壁に「Aster Power Coating」を塗布したものと塗布していないもので振動実験を実施。阪神淡路大震災と同等の揺れを与えたところ、通常の壁は崩れたが、コーティング材で強化した壁は崩壊しなかった。この実験の様子をフィリピンのDPWH担当者たちもオンラインで見守り、有効性を確認。その後、フィリピンの公共事業に導入できるよう、現地の建築基準や認定の取得(製品登録制度(Product Accreditation Scheme; P.A.S)に向けて取り組んでいるそうだ。

ASEANでの事業戦略構築と特許活用のためにIPASに応募

 AsterはASEAN展開に向けた戦略構築のため、2021年度にIPASに参加している。

「知財メンターの方からは、日本を代表する大企業でも外国との特許係争で勝つのは難しい、と言われました。そのなかでも勝っている例があり、そのノウハウが知りたかった。また、ビジネスメンターの方はアジアでの起業を何例も支援した経験のある方でした。加えて、アジアの財閥事情に精通する華僑のメンターの方からもお話を伺いました。こうした情報は、メディアからは得られない貴重なものです。IPASのメンタリングを受けたことで、これまで自身の中でぼんやりと考えていた戦略が明確になったことが大きな成果です」(鈴木氏)

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 特許の活用についてアドバイスを受けることもIPASへ応募した目的のひとつだそう。

「父が創業した会社では、父が発明した特許をいくつか取っていましたが、経理を担当していた母親は、特許はお金がたくさんかかるだけで利益に結び付いているのかわからない、とよくこぼしていました。特許を使ってビジネスを組み立てるには、ある程度のボリュームにならないと生かせない。中小企業にとっては月々の資金繰りが大変なので、短期的な目線では特許がどう役に立っているのかわからなかったということでしょう。私は、大企業の知財担当の方々と話をすることで、彼らがポートフォリオを構築して戦っていることを初めて知りました。もし研究一筋で起業していたら、すぐに足元をすくわれてビジネスは失敗していたかもしれません」

 大学発スタートアップのように研究者が起業する場合には、「知財の戦略を指南する人が必要。できれば創業メンバーに知財に精通する人を入れるべき」と鈴木氏は提言する。

世界中のビルの建て方を変えるため、標準化を目指す

 特許や商標を取っていても海外で模倣されてしまうことは多々ある。鈴木氏は知財のどの部分に価値を置いているのかを伺った。

「私自身は、特許はすごく大事だと考えています。我々の開発した技術を使えば、フィリピンでビルを安全に、かつコストを抑えて建てることができます。仮に、我々が特許を取っていなければ、必ず現地の会社が特許を取ります。すると、Asterが特許に抵触していることになり、市場から追い出されてしまう。我々の戦略としては特許を取得して現地の企業グループに使用権を提供することで、我々を守ってもらえると考えています。

 もうひとつの戦略として、特許だけでなくAsterのブランド力を構築する必要があります。最終的には、その国のビルの建て方を変える、ISOのような“標準”になることを目指しています」(鈴木氏)

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 ISO認定は常任理事6カ国の合意が必要なため、非常にハードルが高い。鈴木氏は、英国規格協会(BSI)のPAS規格(公開仕様書)の策定を目指しているそうだ。PAS規格は、一般公開されて誰でも使用できる規格で、PAS規格が世界的に広く活用されると、ISO化が可能になる。

「標準化は非常に大事だと捉えています。テスラが短期間でトヨタの時価総額を超えたのは、テスラが時流を読み、ルール形成にも戦略的に取り組んで標準化まで見据えて踏み込んだからこそ成し得たのだと思います」

 鈴木氏は、新築だけではなく、既存の建物への施工を含めた標準化を目指している。

「新築だけならまだ簡単ですが、世界人口の約6割、42億人ほどが組積造の建物に住んでおり、地震が起こればその町が壊滅してしまう恐れもあります。既存の建物を含めた標準化には大きな壁がありますが、これを乗り越えなければならないと考えています」

ボーングローバルへの本気度

 イタリア地震が起業の発端であったように、Asterは創業当初からグローバル進出が前提だ。2019年にはNEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)の補助金を活用して、「Aster Power Coating」を共同開発した山本氏とともにイタリアやギリシアの組積造の専門家を訪ね、技術の有用性や市場についての意見を聞いて手応えを得た。その後、アクセラレーションプログラムで優勝し、いくつかの企業と交渉したが、なかなか事業化には至らなかったそうだ。

「政府は、起業して間もなく海外での事業展開をねらう“ボーングローバル”を推進していますが、大企業やVCからは、まずは日本でビジネスを成長させてから海外展開するように言われました。韓国やイスラエルのスタートアップにはボーングローバルが多く、世界を狙う前提で国が支援しています。その発想がなければ世界では勝てないでしょう」

 鈴木氏には、日本は行政も企業も既存事業の維持を重視しており、イノベーションへの本気度が足りないように感じるという。今後世界で戦えるスタートアップを増やすためにも、行政機関やVC、企業もボーングローバルの意識とそのための支援を充実させていくことが課題のひとつになるのだろう。

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文●松下典子 聞き手・編集●北島幹雄/ASCII STARTUP 撮影●曽根田元
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