CEOが語る知財
ミツフジ株式会社 代表取締役社長 三寺 歩氏インタビュー
西陣織からウェアラブルデバイスへ 時代に向き合い変革を遂げる老舗承継企業の挑戦
西陣織を源流とするミツフジ株式会社は、銀めっき導電性繊維を強みに事業を展開してきた創業70年の老舗企業である。2014年に代表取締役社長に就任した三寺 歩氏は、承継という転機のもと、素材の価値を抗菌から導電性へと見直し、ウェアラブルデバイス分野へと舵を切った。医療や建設の現場での実装を通じて改良を重ね、基盤技術へと重心を移す同社の現在地を追った。
ミツフジ株式会社 代表取締役社長
三寺 歩(みてら・あゆむ)氏
1977年2月7日生。2001年立命館大学経営学部卒業後、松下電器産業㈱(現パナソニック)入社。シスコシステムズ、SAPジャパンなどを経て、2014年9月三ツ冨士繊維工業㈱(現ミツフジ)入社、代表取締役就任。
西陣織からウェアラブルデバイスへ。承継と転換の決断
ミツフジの原点は、1956年に京都で創業した西陣帯工場にある。三寺氏の祖父の代に始まった伝統繊維メーカーは、1979年に法人化し、1980年頃から導電性ネットやテープなどの開発に踏み出した。2002年には銀めっき導電性繊維「AGposs」を商標登録し、導電性・抗菌防臭・電磁波シールドなどの用途を見据えた高機能性素材として展開してきた。2008年には同繊維の抗菌防臭性を活かし、国際宇宙ステーションで宇宙飛行士用下着素材として採用され、2016年には導電性を活かし、自社初のIoT最終製品サービス「hamon」を発表する。西陣織から高機能性繊維、そしてウェアラブルデバイスへと事業の射程を広げてきた歩みは、世代交代のたびに、繊維というベースは保ちながらも事業の軸足を移してきた同社の歴史を示している。
父の代で進められた銀めっき繊維の開発は、当時としては新しい挑戦であった。それまで主流ではなかった「繊維に機能を与える」という発想のもと、抗菌・防臭機能を中心に市場を広げ、銀めっき素材は同社の柱の一つとなっていく。
しかしその後、「抗菌」をうたう安価な製品が市場に次々と登場し、価格競争が進んでいった。銀めっきという素材そのものは変わらないにもかかわらず、抗菌という切り口では差別化が難しくなっていく。市場環境の変化のなかで、技術の価値を価格に十分反映させることが容易ではなくなっていったのである。
そうした状況のなかで、父の代の終盤には経営も厳しい局面を迎えていたという。2014年に代表取締役社長に就任した三寺氏は、資金繰りも含め先行きが見通しづらい局面でバトンを受け取った。大企業で経験を積んでいた三寺氏は、父からの連絡を受けて経営に入った。まずは営業として顧客を訪ね歩き、自社の技術がどのように評価されているのかを改めて確認していく。
「大手の企業様が、少量ながら繊維を買い続けてくれていたのです。理由を尋ねると『導電性がすごい』と口を揃えて言われました。その評価を受けて、自社の技術にはまだ活かしきれていない可能性があると感じました。ちょうどウェアラブルデバイスという分野が立ち上がり始めていた時期でもあり、市場の動きと自社の強みが重なるのではないかと考えるようになったのです」(三寺氏)
同じ銀めっき素材であっても、着眼点を変えれば別の可能性があるのではないか――。もともと備えていた導電性という特性に、改めて光が当たることになる。
2015年前後にAppleやGoogleがウェアラブルデバイス市場へ参入した動きも重なり、導電性繊維を起点とした新たな方向性が具体的に検討されていく。
「父の代の頃から、導電性があるというのはもちろん知っていたのですが、マネタイズがうまくできていなかったのです。ウェアラブルデバイスの波にうまく乗ることができれば、経営を立て直せると思い、一歩を踏み出しました」(三寺氏)
父の代が銀めっきを抗菌素材として育てたとすれば、三寺氏の代は同じ素材の導電性という側面に着目し、その意味づけを変えたのである。承継は単なる引き継ぎではなく、素材の価値を再定義する転換点でもあった。
導電性をかたちにする ― 医療・介護現場での挑戦
銀めっき繊維の導電性という特性に改めて着目した三寺氏が構想したのは、「着る」という日常行動のなかに生体情報マネジメントを組み込むという発想であった。それが、IoTソリューション「hamon」へとつながっていく。
hamonは、連続的に取得した生体情報をアルゴリズムで解析し、体調変化やストレス、猛暑リスクなどを可視化する仕組みである。そのデータ取得の入り口となったのが、銀めっき導電性繊維「AGposs」を電極として用いたスマートウェアであった。無縫製のウェアに電極機能を編み込むことで、着用するだけで心電図を取得する。素材としての強みを、実装レベルへと引き上げた形である。
銀めっき導電性繊維AGpossを電極として用いたスマートウェア
「これまでスマートウェアは体をぎゅっと締め付けて測定するコンプレッションタイプが多かったですが、AGpossを使用したスマートウェアは電極部も伸びるので着心地が良く、どんな体型の人でも使えます。だから、現場にも導入しやすいと考えました」(三寺氏)
建設や医療、介護の現場での活用を想定し、長時間にわたる生体情報のモニタリングを可能にする設計を進めた。医療機器認証の取得にも取り組み、実装に向けた体制整備も進めていった。
一方で、実際の運用を重ねるなかで、現場からは具体的な課題も寄せられた。洗濯や通信、管理の負担など、日々の業務のなかで無理なく使い続けられるかどうかといった実務面の論点である。
「技術としては評価していただけました。ただ、実際の現場では、もっと簡便に扱えることが求められていました」(三寺氏)
高機能であることと、現場に定着することは必ずしも一致しない。プロトタイプ段階からヒアリングを重ねるなかで、同社は“できること”ではなく“使い続けられること”を基準に設計を見直すようになった。
導電性という素材の可能性を形にすることから始まった挑戦は、次第に「現場で使われること」を起点とする開発へと重心を移していく。この経験が、後の製品展開にも大きく影響することになる。
建設現場での学びから、猛暑リスク対策へ
建設現場でのスマートウェア導入へのハードルに直面した経験は、実際の現場でのニーズと結びついていく。高温環境下で作業する現場から寄せられたのは、日々の作業のなかで複雑な機器を扱うことは難しいため、より簡便に装着できる形で、手軽に猛暑リスクを事前に把握したいという要望であった。
こうして開発されたのが、リストバンド・スマートウォッチ型の「hamon band」シリーズである。LEDによる脈波測定を行い、そのデータをもとに産業医科大学と前田建設工業株式会社と共同開発した特許取得済の深部体温変化推定アルゴリズムを搭載しているため、手首に装着するだけで、猛暑リスクを事前に可視化できる。
左からhamon band S、hamon band N、hamon band V
深部体温は猛暑リスクを把握する上で重要な指標であるが、直接測定することは容易ではない。着衣型hamonで活用してきた心拍データからの深部体温変化の推定アルゴリズムを基盤としつつ、脈波データへの置き換えを検証し、人工気候室での実験などを経て相関性を確認したという。
ここでも設計の出発点は現場であった。「IT機器に不慣れな利用者でも扱えること」、「作業の妨げにならないこと」、「通信環境に依存しないこと」、そして「仕事に誇りを持てるようなスタイリッシュさがほしい」といった声である。「充電をして、スイッチを入れたらあとは機械が勝手にやってくれる。徹底的にシンプルにすることで、現場の負担を減らすことを意識しました」(三寺氏)
現場で得た学びは、猛暑対策という新たな用途においても活かされた。形は変わっても、プロトタイプ段階からヒアリングを重ね、都度修正を行う姿勢は一貫している。
「現場でフィードバックを得たら、必ず翌年には直して持って行くようにしていました。『死者を出さない』というゴールは同じなのですが、経営者と現場では異なる思いを持っています。我々は現場の人に役立つ直し方をする、『修正力』で生きているのです」(三寺氏)
銀めっきという素材から始まった挑戦は、デバイスの形状を変え、やがてアルゴリズムという無形資産へと重心を移していく。ここで重要なのは、素材(銀めっき繊維)そのものに固執しないという姿勢だ。センシングデータや電磁波対策など、解決したい課題に合わせて最適な技術を使い分ける。現場の声を起点に改良を重ねてきた結果が、現在の事業モデルにつながっているのである。
猛暑リスク対策というテーマは、日本国内にとどまらない。ミツフジはヨーロッパとアジアを中心に海外展開を進めている。なかでも主戦場はヨーロッパであると語る。
その背景にあるのが、欧州で深刻化する熱波である。フランスやスペインでは毎年多数の熱中症患者が発生しており、冷房設備が十分に整っていない地域も少なくない。イギリスでも初めて熱波による死者が報じられるなど、熱中症対策は社会課題として顕在化している。こうした状況を踏まえ、同社は欧州市場に可能性を見出している。
「アジアではシンガポールを起点に現地企業とMOUを締結し、そこから展開しています。ヨーロッパではドイツに最初の代理店を設け、ドイツのメーカーともMOUを締結。ドイツやイギリスを足がかりに市場を拡大しているところです。JETROの支援も活用しながら進めています」(三寺氏)
承継企業もスタートアップとして挑戦するという選択
こうした海外展開と並行して、同社はIPAS(知財アクセラレーションプログラム)にも参加した。ミツフジがIPASに応募した理由とは。
三寺氏は、現在の日本に広がる承継企業の現実をこう語る。
「いまの日本では、事業を継いでも大きくできないと感じている経営者が多いと思います。同じ仕事を続けていても、社会が変わっているので先が見えない。誰が悪いということではなく、需要そのものが変わっていると思います」
先代が全力を尽くして築いた事業を受け継ぎ、その思いを守ろうとする。しかし、市場環境が変化するなかで、同じ延長線上では広げることが難しい――。そうした葛藤を抱える承継企業は少なくない。
2014年の承継は、三寺氏にとって単なる引き継ぎではなかった。素材の意味づけを変え、その後、ウェアラブルデバイス分野へと舵を切る、大きな転機であった。法人の歴史の長さと挑戦の質は、必ずしも一致しない。老舗承継企業であっても、新たな技術と市場に挑み続ける姿勢は、スタートアップにも通じるものである。
2022年のIPASへの参加も、その一歩であった。「受かろうが落ちようが、まずアクションすることが大切だと思いました。応募することで意識も変わりますし、考えも変わる。地方からでものろしを上げられる、ということを示したいと思いました」(三寺氏)
国のプログラムを活用し、自社の技術や知財を棚卸しし、事業の方向性を改めて見つめ直した。躊躇せず挑戦する姿勢そのものが、承継企業にとっての突破口になり得る。プロのメンターとの出会いは、大きな収穫だったという。
「IPASなどへの参加ももちろんですが、技術を継承して、しっかりと磨き続けることで、周りの同じような人たちに希望を感じてもらえるような挑戦をし続ける会社でありたいと思っています」(三寺氏)
地方の老舗が挑戦する姿は、同じ立場にある企業へのメッセージでもある。承継企業であっても、挑戦をやめなければスタートアップにも通じる存在となり得る。その実践が、承継を転機に挑戦を続けてきたミツフジの歩みである。
今年創業70周年を機にミツフジが再定義したスローガンは、「無事をつくる。」である。それは単に事故を防ぐという意味ではない。社会の変化を受け止め、素材の意味を問い直し、現場の声に合わせて修正を重ねながら、人が今日も安全に働ける状態を技術で生み出していくという姿勢を示している。
その過程で同社は、アルゴリズムや素材といった基盤技術へと重心を移した。「日本のアイデアのユニークさは世界から尊敬されている。ミツフジはその国の会社として、ユニークな技術を世界中の人が使うものに搭載してもらうことで役に立ちたいです。特許というのは、『取ったら勝ち/取らないと負け』という話ではなく、『特許を取得できるくらい価値あるものだと認めてもらった証拠』だと思っています。『ミツフジの特許をライセンスしてでも使いたい』と思われるようなものづくりがしたいですね」(三寺氏)
承継企業であっても、挑戦をやめなければスタートアップである。地方からでも、ユニークな技術で世界とつながることはできる。無事を“守る”のではなく、無事を“つくる”。その思想が、挑戦を続けるミツフジの現在地である。

