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CEOが語る知財

【「第4回IP BASE AWARD」スタートアップ部門 グランプリ受賞】 Heartseed株式会社 代表取締役社長(CEO)福田 恵一氏インタビュー
新たな治療法を世に出すために。積み重ねてきた研究成果が国際的大型ライセンス契約締結を生む

「第4回IP BASE AWARD」スタートアップ部門でグランプリを受賞したHeartseed株式会社は、慶應義塾大学医学部で教授を務めた福田恵一氏による心筋再生医療の研究成果の産業化を目指して設立されたバイオスタートアップだ。心筋細胞の作製から移植デバイスの開発に至るまで、治療に必要となるコア特許を着実に押さえ、大手製薬企業ノボ ノルディスク A/Sと国内バイオベンチャー史上最高額となる一時金・マイルストーン総額約6億ドル(本インタビュー時のレートで約840億円)でライセンス契約を締結している。Heartseed株式会社代表取締役CEOの福田恵一氏と同社で知財を担当する太田幸子氏に、事業化を見据えた心筋再生医療研究と権利化の取り組みと、大学発スタートアップが世界で勝つための課題について伺った。

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Heartseed株式会社 代表取締役CEO 福田 恵一(ふくだ・けいいち)氏
1987年、慶應義塾大学大学院医学研究科(循環器内科学)修了。
国立がんセンター研究所への国内留学、米ハーバード大学ベスイスラエル病院分子医学教室、米ミシガン大学心血管研究センターへの留学を経て、
1995年に慶應義塾大学医学部 内科学(循環器)助手。2005年に慶應義塾大学医学部 再生医学教授に就任し、2010年に慶應義塾大学医学部 内科学(循環器)教授。
2015年、Heartseed株式会社を設立。

再生医療の入口から出口まで一気通貫で研究に取り組む

 福田氏が再生医療に取り組むきっかけは、拡張型心筋症の患者との出会いにさかのぼる。

「1983年、医師になりたてのころ、若い患者さんが入院してきました。拡張型心筋症という病気で、当時は治療法がなかったのです。医者になったのに、病気が治せないのは悔しい。新たな治療法を研究したい、と漠然と思ったのが最初です」(福田氏)

 まずは国立がんセンターの研究所に国内留学し、がん細胞の分子生物学について基礎から学び、その後、ハーバード大学とミシガン大学に留学。帰国後、拡張型心筋症などの心不全の治療法開発に取り組み始める。

「患者さんの病気を治すことを優先した研究でないと、汎用化、治療には結びつきません。私はたくさんの論文を残すことよりも、初期の目的である新しい治療法を見つけるために、一連の研究を深く掘り下げていく研究スタイルを選ぼうと思いました。再生医療の研究を入口から出口まで掘り下げていくこと。1つでも穴があると事業につながらないので、各ステップで重要なことをすべて網羅できるような研究手法がいい。そう考えて研究を続けてきました」

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 1999年に骨髄間葉系幹細胞から心筋細胞が作れることを論文で発表。世界中の研究者から注目を浴び、10カ国以上から講演に招待された。

 ただし、骨髄細胞から治療に必要十分な量の心筋細胞を作り出すことが難しく、臨床には至らなかった。

 2000年代に入り、ES細胞から効率的に心筋を作るための因子をいくつも発見し、次々と論文を発表。2006年に京都大学の山中伸弥教授によりiPS細胞が発表されると、iPS細胞を用いた再生医療の研究に取り組み、iPS細胞から高純度の心筋細胞を作製することに成功する。

アカデミアの存在感が増す世界の新薬開発

 さらに、作製した細胞から心筋細胞だけを取り出す純化精製技術、移植技術などを開発し、心筋再生医療の実現性が見えたことで2015年にHeartseed株式会社を設立した。

「当時はまだ研究者が起業するケースは少なく、『なぜ大学教授が起業するの?』という雰囲気でした。ですが外国を見ると、留学中に机を並べていた研究者の多くが起業し、設立したスタートアップが巨額の資本で買収されるようになっています。

 例えば、ハーバード大学で心筋症の遺伝子解析を研究していたクリスティ ン・サイドマン(Christine Seidman)教授は、MyoKardiaというスタートアップを設立し、2020年に米ブリストル マイヤーズ スクイブに1兆円以上(約131億米ドル)で売却しています。また、スイスのバイオ系スタートアップであるアクテリオンファーマシューティカルズの創業者は、同社がジョンソン・エンド・ジョンソンに買収されたのち、別会社に移って研究開発を継続した例もあります。このように、次々に新しいものを開発し事業化していく中で、ビジネスは大手製薬会社に任せて、自身はまた新たなシーズを開発するということが欧米では主流となってきています」(福田氏)

 欧米ではアカデミア発の新薬が続々と生まれる一方、日本では製薬会社の勢いが落ちてきているという。

「抗体医薬の開発に乗り遅れ、メッセンジャーRNA、siRNAの開発にも出遅れてしまいました。このままでは世界から取り残されてしまう可能性がある。また、世界の製薬会社は、人口が減り市場も縮小する日本ではなく、東南アジアやアフリカなどのグローバルサウスや中国の市場に目を向けており、我々も最終的には世界に出ていかなければならないと考えています」

 世界展開へ向け、福田氏は2020年に米国で開催された世界の製薬会社や投資家(ベンチャーキャピタル)らが集まるイベント「J.P.モルガン・ヘルスケア・カンファレンス」に参加。そこで世界のトップ10の製薬会社と会い、自社の技術をプレゼンテーションすることで、ノボ ノルディスク A/S(以下、ノボ社)との提携へとつなげた。

再生医療分野は多数の企業との共同研究が不可欠

 ノボ社とのディールは非常にタフな経験だった。Heartseedで知財を担当する太田幸子氏は当時を振り返る。

「日本の製薬会社とのディールで先方からきた質問は200~230問程度。対して、ノボ社からの質問は2000問を超えました。IPのデューデリジェンスも激しく、研究内容に深く入り込んだあらゆる質問がありました。すべての質問に1つひとつに答えていったことが、結果的にいい契約につながったと考えています」(太田氏)

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Heartseed株式会社 代表取締役社長(CEO) 福田 恵一氏(右)と 知財を担当する太田 幸子氏(左)

 2000もの質問に答えられたのは、それまでスタートアップらしからぬ規模で進めていた多数の企業との共同研究のおかげだという。

「企業との共同研究で積み上げた膨大な実験データが回答に役立ちました。例えば、純化精製技術の開発では何千パターンもの培養液で実験を重ねています。再生医療の培養液をつくるにしても、アカデミアだけではできません。これは乳酸法を学会で発表した際に味の素の研究者と出会い、次のグルタミン法は同社との共同研究によって作ったものです」(福田氏)

 再生医療には、培地、培養の容器、保存溶液、器具や装置、患者への移植デバイスなど、さまざまなものを使う。そのため、素材からハードウェアまで幅広い分野の企業が関わっており、共同研究は不可欠だ。各ステップでの深い研究のため、さまざまな連携を積み重ねてきた結果が、大型提携として結実した。

「(心不全の再生医療分野は)多くの企業が市場に参入していますが、そのなかでも弊社の心筋細胞は心室筋特異的かつ、高純度であり、他社には作れないものとして、優位性をもって多くの企業と提携をさせていただいています。契約の件数も膨大ですが、弊社が主体となり、利益をきちんと分け合いながら、なおかつスピード感をもって共同開発を進めています」(太田氏)

世界で戦うために知財の人材獲得は最重要課題

 Heartseedの設立の際には、慶應義塾大学から知財譲渡を受けている。大学との知財交渉では、独占的実施権のみで、なかなか譲渡してもらえないケースもあるという。しかし、実施権だけでは会社の権利としては弱い。福田氏は大学側と丹念に何度も交渉を続けて、譲渡を了承してもらったそうだ。

「大学では将来のビジネス展開や事業形態を想定した権利の取り方、クレームの書き方は必ずしも十分に意識されません。しかし、我々はこれから世界の競合他社と戦っていかないといけない。そのためには、少し図々しいくらいの権利の取り方をしていかないといけない場合もあります。権利が弊社に移っていれば、審査を受けて権利化をしていく際に、自分たちの事業に合わせてクレームの補正などを自由にできます。これは企業にとってすごく大きなことですので、譲ってくれた慶應義塾大学に非常に感謝しています」(太田氏)

 太田氏は大手製薬会社の知財部出身で、長年にわたる福田氏のスカウトの果てで出会い、2021年にHeartseedに加わっている。HeartseedはシリーズBの調達を終え、人材獲得資金が用意できているが、知財人材の確保には相当苦労したようだ。

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「知財でいい人をとりたいよね、とかなり前から探していました。会社にとって人材は極めて重要。なかでも知財はトップクラスで重要です。しかし、エース級の人材は、なかなか出てこない。太田さんに出会えるまで何年も待ちました。ここは妥協できないので、待つことも大事です。待てるぎりぎりだったので運が良かったです」(福田氏)

治療法を世に出すために研究を続けてきたからこそ

 Heartseedでは、iPS細胞を効率的に作る方法、心筋細胞の純化精製、iPS細胞の作製に重要な因子、効率的な移植をするための移植方法やデバイスなど、さまざまな技術を開発し、特許化している。太田氏が入社した段階で、すでに再生医療の入口から出口までの重要な特許はすべて押さえていたという。

「福田先生の研究スタイルは製薬会社そのもの。先生の研究成果を次々と特許にしていくのですが、結果として入口から出口まで、企業が事業を行なうのに十分な権利がそろっていました。それは、福田先生が治療法を世の中に出したい、という明確なゴールに向かって研究を続けていらしたからこそ、必要な特許がすべて押さえられたのだと私は認識しています」(太田氏)

 一般的に大学の研究ではシーズに留まることが多く、このようなケースは非常にまれだ。

「日本の大学も米国のように大学発の知財を産業化することを目指していますが、なかなかうまくいっていません。大学教授が自らアントレプレナーになり、大学教授の3人に1人はスタートアップを作るくらいでないと変わっていかないかもしれません。米国では、アカデミアから産業界に行った人がまたアカデミアに戻ってくることも多い。まずは我々が、若い人たちに手本を見せたいと思います」(福田氏)

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 この先、日本のバイオスタートアップが世界で勝つためには、さらなる知財支援も必要だという。

「知財はとても複雑です。事業化したときに競合他社に対して本当に効果のある特許を確保するには、先々のことを考えて計画的に権利を押さえていく必要があります。専門家に相談するにしても、領域によって状況は異なり、代理人の弁理士もすみずみまで調査を行うまでの時間はないでしょう。資金力のない創業期のスタートアップが有効な知財戦略を遂行するのは、現実にはなかなか難しいと思います。

 しかし、これを打破していかないと、日本のスタートアップが世界と戦えるようにはなりません。将来の国益になるような強力な権利となるように、特許庁をはじめ、周囲の専門家にサポートしていただく体制が重要です。外から相談を受けるだけではなく、社内に送り込むような、より強力な支援施策も期待しています」(太田氏)

 福田氏は最後に、アカデミアから産業創出を目指す研究者へのメッセージを語ってくれた。

「医学研究は面白いし重要だけれど、研究で終わらせてほしくない。ものづくりを最後まで推し進めていき、治療法を確立するまでのことをやってくれると、産業創出になるし、強い国づくりにもつながる。スタートアップはもっと生まれないといけないし、大学の研究の延長上にスタートアップがあることが私としては大事だと思う。

 研究が産業創出につながれば、国も研究費を増やしてくれるでしょう。そのためにもHeartseedが成功例になれるようにしたい。一所懸命研究していれば必ず道が開けて、誰もが知る企業を作れるかもしれないとわかれば、理系に進む学生も増えると思います。研究の先に産業界で起業できる人が増えていくことを願っています」(福田氏)

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文●松下典子 聞き手・編集●北島幹雄/ASCII STARTUP 撮影●曽根田元
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