スタートアップエコシステムと知財
【「第7回 IP BASE AWARD」 スタートアップ支援者部門 グランプリ】 島田 淳司氏インタビュー
「強い特許」を超えて「うまい知財」を。製薬会社との提携・M&Aから逆算するスタートアップの知財戦略
「第7回IP BASE AWARD」スタートアップ支援者部門でグランプリを受賞した島田淳司氏は、新規事業の構築からM&A・IPOにおける知財評価、バリュエーション交渉まで、事業の成長段階に応じた支援を手がけてきた。個社への支援に加え、ガイドライン策定などを通じて、スタートアップの知財を支える仕組みづくりにも取り組んでいる。島田氏が重視するのは、特許の取得そのものよりも、その権利が事業の成長やExitの場面でどう機能するかという視点だ。特にライフサイエンス領域においては、スタートアップは早い段階からグローバル市場を前提に、製薬会社の評価軸やExitの時期を見据えて知財を設計する必要がある。本記事では、研究成果を事業価値につなげるために必要な知財戦略と支援体制について、話を聞いた。
東北大学 創薬戦略推進機構
Chief Technology Development Officer 兼 特任教授
島田 淳司(しまだ・あつし)氏
ライフサイエンス/バイオテクノロジー分野の投資家、弁理士。大阪大学工学部卒業後、大手特許法律事務所で知的財産戦略、技術評価、権利化、紛争対応などに従事。2005年に武田薬品工業株式会社へ入社し、知的財産部でアムジェン日本法人やナイコメッド社の買収案件、50件以上のライセンス案件を担当。2010年にIE Business SchoolでMBAを取得し、2011年からTakeda Pharmaceutical International(シカゴ)のGlobal Licensing & Business Development部門で、米国バイオベンチャーとのライセンス交渉やM&A案件を主導。2014年にバイエル薬品株式会社へ移り、経営戦略、がん領域の製品戦略、事業開発を担当。2018年から東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)でライフサイエンス分野への投資とハンズオン支援に携わり、2024年にAN Venture Partnersへ参画。広島大学客員教授、長崎大学客員教授も務める。2026年8月より東北大学のChief Technology Development Officer(CTDO)兼 特任教授 に就任。ライフサイエンス領域のスタートアップ創出と知財マネジメントを支援する。
日本の研究とIPを土台に、最初から世界市場を目指す
ライフサイエンス、とりわけ医薬品は、一つの製品を開発するために長い時間と多額の資金を要する。研究開発費を回収し、次の開発へ投資するには、日本市場だけを対象とした事業では規模が足りないことも多い。米国、欧州、アジアを含めたグローバル市場を前提に、事業と知財を組み立てる必要がある。
「世界水準で戦えるスタートアップとは、日本の研究と、それに基づく日本のIPをベースに、日本市場だけでなく米国、欧州、アジアで事業を展開できる企業だと思います。バイオであれば、最終的には売上高1兆円規模のグローバル・バイオ企業になり 、グローバルに 社員がいる。そうした企業を日本から生み出したいと考えています」と島田氏。
日本の科学技術の水準は決して低くない。しかし、研究成果を社会実装し、世界規模の事業へ育てる機能が十分に整っていない。島田氏は、研究と事業の間をつなぐ人材と仕組みが、日本のライフサイエンス産業の課題だと指摘する。
欧米だけでは足りない。競合国まで見据えた出願戦略
グローバル展開を前提にすると、どの国で特許を取得するかも重要になる。大手製薬会社では、医薬品の販売国や薬価戦略、競合企業の研究開発拠点などを踏まえ、多数の国へ出願する。製品によっては中東や新興国を含む非常に多くの国・地域で権利を確保する場合もあるという。
一方、創業初期のスタートアップが同じ規模で出願するのは現実的ではない。資金の制約から、米国、日本、中国、欧州など、主要な国・地域に絞るケースが多い。しかし、競合が生まれる可能性のある国を外すと、後のライセンス交渉や事業展開で不利になるおそれがある。
「米国、中国、日本、欧州に加え、カナダ、シンガポール、韓国、台湾、インド、イスラエルなど、創薬事業を行っている国や地域も検討する必要があります。技術や製品をライセンスする際に、評価に耐えられる特許ポートフォリオをつくることが重要です」(島田氏)
このような大手製薬企業が知財を評価する視点は、スタートアップはもちろん、伴走するVCや支援者にも求められる。どの国へ出願するかは、単なる費用配分の問題ではなく、どこで製品を販売し、どこに競合の可能性があり、誰にライセンスするのかという事業戦略そのものとなる。
バイオ知財は、研究・事業・知財を同時に見る
だが、ライフサイエンス分野の知財では、権利範囲をどこまで広げるかという判断も難しい。日用品や機械製品であれば、製品の形や用途、競合による模倣を比較的イメージしやすい。一方、バイオ分野では、抗体、遺伝子配列、細胞、化合物、治療用途など、培ってきたサイエンスそのものを特許の明細書にトランスレーションして権利化する。
抗体や遺伝子であれば、配列をどこまで構造的に特定するのか、機能によってどこまで広く定義できるのかを、実験データを踏まえて考える必要がある。範囲を広げすぎれば特許として認められにくくなり、狭すぎれば競合に回避される。
「競合が配列を一つだけ変えた製品を出したときに抑えられるのか。また、大手が参入したときに簡単に回避されないか。そのぎりぎりを考え、知財に落とし込むことが、ライフサイエンスの知財戦略担当者の腕の見せどころです」(島田氏)
この判断は、研究者だけでも、事業開発の担当者だけでも難しい。特許制度に詳しい専門家だけでも十分ではない。サイエンスを理解し、競合や市場を想定しながら、適切な権利範囲に落とし込む必要がある。島田氏は、研究・事業・知財の3つの領域をつなぎ、「この特許では事業を守れない」と気づける人材が重要だと話す。
特許は取れていても、事業を守れていないことがある
知財は対外的な信頼形成にも役立つ。創業から間もないスタートアップが、官公庁や大企業と協議する 大学発シーズでは、研究成果を守るために取得した特許と、スタートアップの事業に必要な特許が一致しないこともある。
島田氏は、過去にがん治療に関する用途特許を取得していたものの、実際に臨床試験で使う予定の用途をカバーできていなかったという創薬案件があったと話す。関係者として「特許は取れている」つもりだったが、事業化に必要な権利が不足していたのだ。また別の案件では、「90%以上が特定の細胞である細胞集団」といった限定が請求項に入っていたという。ラボで成功した内容が特許としては成立していても、その条件を実際の製造で安定して再現することが難しく、事業では使いにくい権利になってしまう場合もある。
「知財戦略を構築し、どのようなクレーム(請求項)で取るのか、いつ出願するのかを、事業を想定しながら決める必要があります。知財担当者が一人ですべてを見るのは難しいので、VCや事業化支援者と議論しながら進めることが重要です」(島田氏)
とはいえ、大学の知財部門や技術移転機関(TLO)は、限られた人員で多くの研究成果を扱っており、すべての案件で事業化まで見通した戦略を組み立てるのは容易ではない。だからこそ、大学、弁理士、VC、製薬会社経験者などが、会社設立後ではなく、研究成果を権利化する段階から議論する必要があるという。
特許の広さと残存期間が、売上と企業価値を左右する
創業初期は、市場規模や競合、臨床試験の成否がまだ見通せず、特許だけで企業価値を正確に算出するのは難しい。一方、開発が進むと、特許の権利範囲や残存期間が、製品の市場シェアや販売期間に影響する。
「医薬品では、特許期間が製品の売上を維持できる期間に関係します。競合の参入を抑えられる特許であれば、より長期間にわたって高い市場シェアを維持できる可能性があります。逆に容易に回避できる特許では、競合参入を許し、想定した売上を確保できないかもしれません。デューデリジェンスでは、競合に簡単に回避される権利か、広く市場を押さえられる権利かを見ます」(島田氏)
島田氏は、広い権利が事業価値につながった例として、ノーベル賞も受賞した京都大学の本庶 佑氏によるPD-1抗体関連特許を挙げる。PD-1を標的とする医薬品を開発する企業に対して広く権利が及ぶ特許で、米メルク社のがん免疫治療薬「キイトルーダ」をめぐっても訴訟となり、その後、和解金や売上に応じた使用料の支払いで決着した。
医薬品では、競合製品を完全に排除することが、必ずしも患者の利益につながるわけではない。そのため、参入を認めながらライセンス料を得るという選択肢もある。他社特許がある場合も、ライセンス料を事業計画に織り込み、採算性を判断する。知財評価では、権利範囲だけでなく、競合の開発状況や市場構造、臨床開発の進捗まで含めて見る必要がある。
「知財だけで利益を生み出そうとしても無理があります。ライセンスやM&Aは、技術の成熟度や事業の成長によって発生します。そのときに必要な知財がそろっていればよいですが、なければそこで終わりです。バイオ分野における知財は、スタートアップのゼロイチを支える前提条件だと思います」(島田氏)
知財は単独で価値を生む資産というより、事業を立ち上げ、将来の提携やM&Aへつなげるための基盤として機能する。では、ライフサイエンス系のスタートアップにとって価値のある知財とは、どのようなものなのだろうか。
「強い特許」より、事業に合わせた「うまい知財」
島田氏は、「強い/弱い特許」という表現よりも、「うまい知財」という言葉を使う。その例として挙げるのが、武田薬品工業株式会社(以下、武田薬品)の潰瘍性大腸炎・クローン病治療薬「エンタイビオ」だ。
エンタイビオは、元々米ミレニアム社で「MLN0002」の開発コードで研究されていた。2008年に武田薬品が同社を買収した後、物質特許のほか、投与間隔や投与方法に関する用法・用量特許、製剤特許などを組み合わせて製品を保護。武田薬品の開示資料によると、エンタイビオの特許の一部は2032年まで存続する見込みとされている。
https://assets-dam.takeda.com/raw/upload/v1670082872/legacy-dotcom/siteassets/jp/home/investors/report/quarterly-announcements/fy2022/qr2022_q2_p01_jp.pdf
「事業戦略、研究開発戦略、知財戦略が連携し、ユニークな投与スケジュールをつくって、それを知財で押さえた。知財部門だけではできない、非常にうまい知財戦略だったと思います」(島田氏)
スタートアップが創業時から製品寿命のすべてを設計する必要はない。非臨床段階でライセンスアウトするのか、自社で臨床第2相、第3相まで進めるのかによって、準備すべき知財は変わる。
重要なのは、イグジットの時期を想定し、買い手となる製薬会社が何を評価するかを理解しておくことだ。臨床試験の設計、投与方法、製剤、特許の残存期間を連動させ、必要な時期に必要な権利を取る。それが、買い手から見て価値のある「うまい知財」につながる。
製薬会社との提携・M&Aから逆算して知財を整える
ライフサイエンス系のスタートアップの出口は、比較的明確だ。IPOをした企業も含め、最終的には製薬会社へのライセンスやM&Aを目指すケースが多い。よほどのメガベンチャーでない限り、自社で営業部隊を抱えて製造販売活動を行うのは経済合理性に欠けるためである。
そのため、製薬会社が将来どの段階で技術を必要とし、どのようなデータと知財を評価するのかを理解する必要がある。島田氏は、上場準備に工程表があるように、創薬関連の知財においても、イグジットから逆算したタイムラインが必要だと話す。
「外部監査での上場準備では、上場の何年前に規程を整え、管理体制をつくるかが整理されています。創薬でも、製薬会社との提携やイグジットの何年前に何をするかを整理した創薬・知財ロードマップ、すなわち『製薬版の逆算表』をつくればよいと思います」(島田氏)
この逆算には、製薬会社で開発や事業提携を経験した人材の知見が役立つ。島田氏がスタートアップ支援に関わるようになった2018年ごろは、製薬会社からVCやスタートアップへ移る人材は限られていたが、コロナ禍を境に状況は変わりつつあるという。国家的な危機に際して、ワクチン技術を持つスタートアップが少なかったことを契機に、大学発研究の事業化や創薬スタートアップへの政策的な支援が拡大した。現在の追い風を、持続的な産業へ変えられるかが問われているといえる。
専門家が仕事として関われるエコシステムをつくる
日本では、弁護士や弁理士によるスタートアップ支援が、ボランティアに近い形で行われることもある。島田氏が理想とするのは、スタートアップが専門家へ適切な対価を払い、正式な顧客として高度なサービスを受けられる状態だ。
米国には、スタートアップを主要顧客とする法律事務所や特許事務所があり、製薬会社と同じように事業の初期段階から専門家が関わる。スタートアップ側に資金があり、専門家の仕事として成立するからこそ、経験豊富な人材が集まりやすい。
「『支援する』というより、スタートアップが正式な顧客になる状態が理想です。仕事として成立し、内容もイノベーティブで面白ければ、優秀な専門家が自然に入ってきます」(島田氏)
専門家との関係だけでなく、VCや産業界、研究者の間で情報が流れる速さにも違いがある。米国では、VCや産業界の関係者がカジュアルに集まり、「この研究者がおもしろいことをしている」「この案件はいけそうだ」と日常的に情報交換する。組織同士の正式な面談を待つだけではなく、個人同士の信頼関係をもとに、案件や人材をすぐにつなぐ文化があるという。
「日本でも、組織同士の正式な面談だけでなく、個人同士の信頼関係をベースに迅速につながれるネットワークをもっと増やしたいですね。アメリカのように、『これ、おもしろいよ』という情報を送れば、『少し話を聞かせて』とすぐに返ってくるような関係が理想です」(島田氏)
ライフサイエンス領域では、研究内容や提携交渉に機密情報が多く、慎重な対応が求められる。一方で、すべてを秘密保持契約(NDA)締結後の正式な場に限定すると、意思決定の速度は上がりにくい。島田氏は、個人の信用を基盤に、共有できる範囲の情報を素早く交換できる関係づくりが必要だと話す。
日本でこうしたエコシステムをつくるには、スタートアップ、VC、研究者、製薬会社、特許事務所、法律事務所が一律に集まるだけでは足りない。相性のよい人や組織が継続的につながり、その中で案件、資金、人材、専門知識が循環する小さなコミュニティを増やしていく必要がある。
その前提となるのが、成功するスタートアップを増やすことだ。公的資金が手厚い現在の環境を活用し、事業化とイグジットの事例をつくり、得られた資金と経験を次の研究や起業へ戻す。知財支援も、その循環の中で民間の仕事として成立させることが重要になる。
10年、20年をかけて、大学の研究と事業を循環させる
島田氏は2026年8月から、新たに東北大学でライフサイエンス分野の大学発スタートアップ創出と知財マネジメントに関わる。大学が研究成果を提供するだけでなく、事業化に必要なデータを取得し、VCとともに会社をつくる仕組みの構築を目指す。
大学発スタートアップが成長すれば、大学は保有株式やライセンス収入を通じてリターンを得られる。その資金を次の研究へ投じ、新たな知財と企業を生み出す循環をつくる構想だ。
「本格的なサイクルをつくるには10年から15年はかかると思います。ボストンなど世界のトップエコシステムと対等に戦えるようになるには、20年程度かかるかもしれません。それでも、継続して取り組まなければなりません。」(島田氏)
長期的なエコシステムづくりを進める一方、早期に事業化できる研究を見つけ、数年以内に成果を示すことも必要になる。海外の大学やVC、製薬会社と交流し、日本の研究者が世界の現場で経験を積んで戻る流れも欠かせない。
研究水準の高い日本には、産業化できるシーズがある。そこに事業の視点を持つ人材が加わり、グローバル市場とExitから逆算して知財を設計する。その積み重ねが、日本発のライフサイエンス企業を世界へ送り出す土台になっていくのだろう。

