知財のプロが語るスタートアップとの新しい働き方
【「第2回 IP BASE AWARD」知財専門家部門奨励賞】あなたの知財部 代表取締役 弁理士 佐藤 彰洋氏インタビュー
世界のトヨタの知財視点をスタートアップへ移植 成長を裏で支える企業知財部出身の専門家の在り方
国内大手企業が持つ知的財産部には、スタートアップを成長させるのに役立つ価値が数多くある。発明の発掘、特許戦略立案、特許調査、契約交渉などを行うのが企業の知財部の主な仕事だが、これらは出願書類の作成業務をする特許事務所の弁理士とはまったく別のスキルを要する。トヨタ自動車株式会社の知財部門で培ったノウハウを生かして「あなたの知財部」を興した佐藤彰洋氏に、企業知財部が提供する価値の本質、これからの専門家の働き方について話を伺った。
あなたの知財部 代表取締役 弁理士 佐藤 彰洋(さとう・あきひろ)氏
国内大手企業の知財部が持つ価値をスタートアップへ
佐藤氏はトヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)に入社後、ハイブリッド用トランスミッションの設計開発を経て、知的財産部に勤務。2014年からはドイツの法律事務所に駐在し、2016年に設立された欧州IPGでは日本副会長を務めるなど、約10年間に渡って企業知財に携わってきた。こうした世界屈指の大企業であるトヨタの安定したキャリアを手放して、スタートアップ向けの知財部サービスという今までにない事業を立ち上げた理由は、新技術に対する興味、という技術者ならではの欲求だった。
「まだ知られていない技術にいち早く触れられるのが知財の面白さ。自動車以外の技術、もっとスピーディーなビジネスの知財に関わってみたい、と思うようになりました。スタートアップは大企業に比べて経営者との距離が近く、ビジネスの本質に迫ることができます。特定のスタートアップの知財担当として、スタートアップ業界に入ることも検討しましたが、ひとつの企業に限らず、たくさんの技術に触れたかったので、あなたの知財部を始めました。あなたの知財部は、スタートアップの知財の最初の相談相手となることを目指しています」(佐藤氏)
独立後、2018年にスタートした「あなたの知財部」で佐藤氏が目指したのは、知財部や知財担当者のいない企業に対する大企業と同等の知財部機能の提供だ。クライアント企業の仲間となって、知財戦略立案や発明発掘等を実施する。
企業規模やフェーズによっても違うが、具体的なサービス内容として佐藤氏が必ずやるのが発明の発掘だ。
最初のミーティングは、ビジネスの課題や、守りたい技術、自社が持つ優位性などの聞き取りから。これを3、4回繰り返して、ビジネスモデルと守るべきものを明確にし、特許のアイデアを形にしていく。「特許を取得できるアイデアを探すのではなく、ビジネスを有利に進めるために役に立つアイデアを形にしてくことを重視しています」
次の段階で、そのアイデアで特許が取れるのかを調査を行なう。調査の結果、出願が取りやめになるケースもあるが、特許調査は欠かせない。「従来技術との差を明確にするのが特許のルール。狙った範囲の特許が取れないのであれば、また違う方向性を探ることが大事です」
スタートアップの場合、資金調達のフェーズが進むミドルステージでは、過去に出願した特許がうまく機能していないケースも出てくるので、分割出願や補正対応も行ない、事業内容の変化に知財活動を合わせることも意識している。「IT系のサービスなどは、たった数年で変わってしまうものもある。成長の結果、競合が同様のスタートアップではなくなってくることもあるが、そうなると知財がより重要となる。提携や交渉などにもつながってくる」
あなたの知財部では、月額制の知財部委託契約と、タイムチャージの都度契約を用意しているが、都度契約でも1回限りで終わるクライアントはほとんどなく、最低でも3ヵ月、通常は半年間以上に渡って伴走するパターンが多い。
契約料は月額3万3000円からの設定。「専任の知財担当者を雇う前段階のスタートアップに気軽に活用してもらえれば」と佐藤氏。また、その他利用例として「特許はできるだけ多くの人が目を通したほうがいいものになる」という考えから、セカンドオピニオンとしての利用も歓迎している。かつて所属していたトヨタでも、重要な案件には複数の専門家が集まって議論を行っていたためだ。
クライアントの多くは、IT系スタートアップ。最近では投資家が知財を重視することになったことから、以前に比べて知財意識が高まっているという。また大企業もAIや既存産業のDX化に乗り出してきており、スタートアップの競合が資本力のある大企業まで広がってきたことが大きい。
特にソフトウェアは、書き方によって権利範囲が変わりやすく、専門家の知見が試される分野だが、トヨタで培った制御や標準化の知見と、個人的にプログラミングを勉強していた経験が役に立っているそうだ。
年間数千件規模の出願をする大手企業知財部が見ているもの
佐藤氏がこのようなサービスを立ち上げるにいたった、大手企業の知財部はどのような機能を持つのか。
トヨタ知財部では弁理士の資格は必須ではなかったが、佐藤氏は独立後の2019年に弁理士資格を取得している。だが、佐藤氏としては出願を代理する弁理士業をやりたいわけではなく、あくまで「知財部業」をやりたいと強調する。弁理士資格は持つが代理人にはならず、出願業務は外部の特許事務所と連携する。
そもそも弁理士は特許庁へ出願手続きをする専門家というイメージがあるが、企業の知財部と一般的な特許事務所の弁理士とでは、仕事内容は大きく異なる。
佐藤氏が所属していたトヨタでいえば、知財部の業務は「発明発掘」、「知財戦略の立案」、「他社との係争交渉」が主であり、知財部員が特許の出願書類を書くことはほとんどなかったという。
知財を持っているからといってビジネスがうまくいくとは限らないが、ビジネスの優位性を保ち、ゆるぎないものにするために知財は必要なものだ。ビジネスをうまく進めるための、縁の下の力持ちとして、佐藤氏は企業知財部を「タイヤをうまく動かすための歯車、内部機構」とたとえる。
会社の規模、事業の規模が大きくなればなるほど、扱う知財の件数も多くなる。佐藤氏によると、トヨタでは社内の1チームだけで年間数百件規模の出願をし、会社全体では年間数千件の出願をしている。担当者として年間で数百件もの知財に触れることができ、知財に関してPDCAを繰り返し実施できる経験は、大企業の知財部ならではだ。
重要な技術は、複数の知財担当者がチームとして担当していたという。チームで担当することで多角的な視野が得られ、網羅的な技術出願、他社との複合的な知財技術交渉などの知見が蓄積される。既存の技術に比べて何が新規性や進歩性に当たるか、どんな特許を取れば他社より優位に立てるのか。数を扱うことで得られる知財の質を高めるための知見は、大企業の知財部ならではだ。
「例えば、トヨタの方式と世界の自動車メーカーとではハイブリッドシステムの方式が違うため、トヨタのシステムだけで請求項を書いても役に立たない特許になってしまいます。自社と他社の権利範囲、アイデアでの必要な構成、そういった根本までを考えられるかが重要で、いかに特許の本質を見抜き、表現していくのかが鍛えられたと思います」(佐藤氏)
知財にかかわる分業化が進み、市場が大きくなるといい
あなたの知財部は名古屋が本拠地であるが、コロナ禍でリモートが普及したこともあり、関東、北陸、関西など、全国各地にクライアントが増えてきているという。
佐藤氏が始めた当初は、トヨタでの実績があるとはいえ、スタートアップ支援の経験もなく、何のつてもない状態だった。そもそも依頼があるのか不安だったが、ウェブサイトやTwitterでの情報発信を経由に連絡が来るようになった。
「連絡をいただいてビデオ会議で話したら、すぐ契約になることもあります。クライアントからは、まさに自社が探していたサービスだと言っていただけています。逆に言えば、スタートアップを支援する知財部機能を担う知財専門家がそれだけ足りていないということでしょう。
多くの弁理士の先生の経歴は理系大学から研究職、そこから新しいキャリアとして弁理士資格取得というのが多いと思います。スキルは発明を表現する部分に使われ、出願書類として不備なく特許庁との調整ができることが業務のメインになっている。そのため、知財戦略に基づく知財活動を行うためには、出願書類の作成をメインに実施している弁理士だけでなく、企業知財部のような知財専門家が必要なのです」(佐藤氏)
伸び続けているスタートアップの数から考えれば、自分と同様な企業知財の専門家があと百人単位で必要だと佐藤氏は語る。
「企業法務に強い弁護士と訴訟代理人の弁護士がいるように、弁理士も分業が進むといいと思います。何もかもができる人はいません。明細書を書くのが得意な人もいれば、企業知財が得意な人もいます。とくに知財は、バイオ、化学、機械加工といった特定分野ごとに高度な専門知識が求められます。それぞれの技術に特化した専門家が増えて、各領域でスタートアップと向き合い能力を生かせるような働き方が必要なのではないでしょうか」
企業の社員としてインハウス知財部で働くか、特許事務所で出願書類を書くか、という二択ではなく、あなたの知財部では、かつて在籍した企業知財部での経験を活かして、多くの企業に関わりながら各企業の知財を伸ばす、という新しいフィールドでの働き方を志す。選択肢が増すことで、スタートアップを支援する専門家の活躍する場はより広がっていくだろう。