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知財のプロが語るスタートアップとの新しい働き方

阿部・井窪・片山法律事務所 弁護士 牧 恵美子氏インタビュー
紛争や交渉を担うからこそできるスタートアップ支援 知財アクセラで見えた弁護士の役割とは

 阿部・井窪・片山法律事務所の弁護士 牧 恵美子氏は、入所以降、特許紛争や倒産事件など大きな案件に携わるかたわら、数多くのスタートアップの支援を続けている。2020年からは特許庁のアクセラレーションプログラムであるIPASにも参加。これまでのスタートアップ支援活動、メンタリングを通じての課題、弁護士としてのスタートアップ支援のあり方について伺った。

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阿部・井窪・片山法律事務所 弁護士 牧 恵美子(まき・えみこ)氏

上智大学法学部卒業後、慶應義塾大学大学院法務研究科に入学。在学中に司法試験に合格し、2006年に弁護士登録、阿部・井窪・片山法律事務所に入所。特許・営業秘密・独占禁止法などに関連する知財訴訟、倒産事件、法律相談などを中心に幅広く業務を行なっている。英国への留学経験があり、特に海外のクライアントとのコミュニケーションが得意。2020年度と2021年度のIPASにメンターとして参加。

アップル対サムスンなど大型訴訟の一方でスタートアップを支援

 牧氏の実家は特許事務所。子どものころから知財は身近な存在だったという。「祖父も両親も弁理士で、家庭のなかで特許用語が飛び交っていました。私にとって知財に関わる仕事に進むのは自然な流れでしたが、ただ、物よりも人のほうが好きだったので、弁理士よりも弁護士を志すことにしました」(牧氏)

 大学院在学中に司法試験に合格し、弁護士登録後に阿部・井窪・片山法律事務所に入所した。

 同事務所は知的財産分野に強く、知財の出願から権利行使までワンストップでサポートできるのが特徴だ。入所後はアップル対サムスン、新日鉄住金対ボスコなどの大きな特許訴訟や、JALの会社更生など倒産事件に携わるかたわら、スタートアップ支援や産学連携にも関わってきた。

「事務所に入所すると、先輩弁護士がメンターにつく里親制度があります。私のメンターは多くのスタートアップや大学の研究機関系の顧問をしていたので、サポートに入るようになったのが支援のきっかけでした」

 そのため事務所入所からすぐに、ベンチャー・スタートアップ支援が牧氏の業務の中の大きい部分を占めるようになったという。

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 大手法律事務所ではあるが、牧氏の里親であった服部 誠弁護士はスタートアップ支援にも熱心であり、立ち上げたばかりの会社には月額数万円のコストでサポートをしていたそうだ。

「大学発スタートアップの支援では、大学との権利交渉に注力しました。社内の法務部員になったつもりで全面的にサポートをさせてもらい、会社の根幹に関われるのが醍醐味ですね。15年前は社長1人で相談にいらしていた会社が、今は上場しているケースもあります」

 その後、レコード会社、総合商社に出向し、海外勤務を経て、2019年4月に帰任。帰国後にIPAS事業を知り、2020年度のプログラムから参加している。

「私がやってきたことが生かせそうだと思い、すぐに申し込みました。出向先では訴訟よりも、ひとつひとつの契約をまとめる仕事が主でした。商社では投資案件も非常に多かったので、これらの経験がスタートアップの投資支援や開発契約の交渉に生きていると思います」

問題が起きる前の段階で弁護士ができること

 2020年度のIPASでは、牧氏のほか、弁理士、スタートアップ支援事業者の3名のチームで創薬スタートアップのメンタリングを担当した。

「3者それぞれの得意分野が違うので、いろいろな意見を聞けておもしろかったですね。これまで事務所でのスタートアップ支援では法律的なアドバイスをしてきましたが、同時にビジネス面、知財の出願の観点から、同じ案件について議論する経験は非常に勉強になりました」(牧氏)

 特にIPASでは、これまでのスタートアップ支援との違いに、戸惑うこともあったという。

「法律事務所へのご相談は、あらかじめ見えている”具体的に困ってる案件”に対してアドバイスすればいいのですが、IPASの場合、”まだ問題が起きる前”の段階。メンタリングでは事業ポートフォリオの構築がテーマだったので、弁理士の方が中心となり、研究開発の方向性の検討と特許出願の準備を進めていきました」

 牧氏の本領である契約や法律課題に進む前にプログラムの期間は終了してしまったそうだが、その半年後、支援先から特許出願が完了した旨の連絡があり、今は資金調達へ向けたサポートをしているという。

 特にポートフォリオのアピールにおいては、大学や大手研究機関からのカーブアウトなどの場合であっても、出身元に頼らず自社開発・特許を持つアドバイスをしている。そこには、大学発の支援を数多く手掛けている牧氏ならではの目線がある。

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スタートアップには見えない落とし穴が多数ある

 大学からのライセンス確保、その後の資金調達といった契約の場面では、いかにうまく交渉するかがその後の事業展開を大きく左右する。

「大学からの権利確保はもちろん大事ですが、その一方で、自社で研究開発を進めて、大学から離れたライセンスを持つことも重要です。VCとの契約では、会社の売り渡しのような要求を提示されることもあります。資金に困っていると、権利を主張をして決裂するよりは、どうにか契約をまとめたい、という気持ちが焦り、不利な条件でも飲んでしまいやすい。どこまで譲れるのか、死守すべきなのかを決めて、しっかり交渉することが大事です。

 また大学や研究機関では、特許の外国出願について意見が割れることもあります。事業化に外国特許が必須であれば、場合によっては出願費用を自社負担するようアドバイスすることもあります」(牧氏)

 資金的に弱い立場になりがちな大学発スタートアップは、契約を緩く考えてしまう傾向にあり、見えない落とし穴がある契約書にはまってしまうこともまだ多い。成果が知らずのうちに相手に持っていかれてしまうような内容が記載されているケースもあるという。

 特に研究者が在職中の場合は、大学との関係が悪くなることを避けて、なかなか強く出づらいという事情もある。大学との交渉には、専門家である弁護士に間に入ってもらうのもいい方法だ。「大学も研究への思いは一緒。最終的に研究の成果がより良い形で世に出ればみんなハッピーなので、そこに目線を置いて、ぎくしゃくしないように注意を払っています」

 大学発の技術シーズによるスタートアップの成果が出るのは、10年先もありうる。ステージが上がるにつれて課題や関係者、ステークホルダーが増え、創業者の思いからは離れてしまうこともあるだろう。

「何でも気安く相談してもらえて、一緒に問題を考えられる身近な存在でありたい。会社のことをいちばん知っているのは私たち、と言えるような、長いお付き合いができればいいと思っています」

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弁護士だからこそ、将来を見据えたアドバイスで役立てる

 牧氏の支援するスタートアップは、医療・ヘルスケア系からエンターテインメント系まで幅広い。

「分野が違っても基本的な考え方は同じです。ヘルスケア系はパイプラインを重視しますが、ITエンターテインメント系では事業の流れとしてのパイプライン、将来像をイメージしながら後押しのプロセスを考えていきます。

 特許ではなくても成果物の知財は著作権という形で守られることもあります。契約の条項に事業の足かせになるものがないか、事業に必要な成果物の権利がスタートアップに留保されているかなどを個々にチェックし、妥協をしないようにしています」(牧氏)

 スタートアップを支援する法律事務所やプロボノとして活動する弁護士も増えてきている。同事務所でも地域のスタートアップ支援に力を入れており、今春、福岡支部を開設する予定だ。

「IPASのようなアクセラレーターに弁護士が関わるならば、数多くの紛争案件、契約交渉を経験している弁護士だからこそ、知財のアピール方法、交渉を有利にするための戦略など、将来を見据えてアドバイスできることがあります。今後はアクセラレーターとしての弁護士の役割を確立していきたいです」

 知財の発掘や出願は弁理士の役割だが、事業拡大へ向けた知財の運用、資金調達や連携の場面では、交渉力のある弁護士のサポートは心強い。IPASがスタートして今年で4期目。IPAS後の資金調達やEXITといった成果が蓄積されていけば、弁護士の役割がより明確に見えてくるかもしれない。

法務部員のような身近な存在でありたい

 サポートしているどの会社も愛おしい、という牧氏。日々のやり取りの中で相手側から率直な反応が返ってくるのもモチベーションになっているそうだ。

「契約のレビューで『こんなに考えてくれて感動しました』と言われたのはうれしかったですね。絶対に譲れないポイントをたくさんコメントで書いて説明するようにしているので、そう感じていただけたのかな、と思います。私にとっては当たり前の作業でも、感謝されるのはありがたく、弁護士冥利に尽きますね」(牧氏)

 最後に、スタートアップ支援に興味のある専門家にアドバイスをいただいた。

「その会社のビジネスや世界感をよく把握して、生かせる形で支援することが大事なので、業界の動向も知っている必要があります。一番大事なのは相談しやすいこと。法務部員になったつもりで、気軽に連絡してもらえるように心がけています。今は経産省からモデル契約書が公開されたり、IPAS事業が実施されるなど、国を挙げてスタートアップをサポートする機運があります。さらに弁護士業界でも、起業家を支えていく動きがもっと盛り上がることを願っています」

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文●松下典子 聞き手・編集●北島幹雄/ASCII STARTUP 撮影●曽根田元