CEOが語る知財
【「第7回 IP BASE AWARD」スタートアップ部門 奨励賞】EAGLYS株式会社 代表取締役/CEO 今林広樹氏インタビュー
「技術を守る知財」から「市場を取りにいく知財」へ。“部品”から脱却した秘密計算スタートアップの転換
第7回 IP BASE AWARDスタートアップ部門奨励賞を受賞したEAGLYS株式会社は、秘密計算技術を活用したデータ連携基盤を手がけるスタートアップだ。同社は創業初期から知財を重視してきたが、その道のりは順調だったわけではない。アイデアは次々に浮かぶ一方で、スタートアップには資金も人員も限りがある。さらに、特許を積み上げても、事業そのものがスケールしないという壁にも直面した。そうした試行錯誤を経てたどり着いたのが、「技術を守る特許」から「市場を取りにいく特許」への転換だった。代表取締役CEOの今林広樹氏に、ディープテック企業ならではの知財戦略について伺った。
EAGLYS株式会社 代表取締役CEO
今林 広樹(いまばやし・ひろき)氏
早稲田大学で脳神経科学を研究する傍ら、独学で人工知能(AI)理論・技術などを学ぶ。2015年には、Digital Garage US, Inc. のインターンシップとして渡米し、データサイエンティスト/AIエンジニアとして活動。個人データ活用やAI開発におけるセキュリティ課題に触れ、セキュアコンピューティング技術の重要性を認識する。帰国後は早稲田大学大学院に戻り、科学技術振興機構(JST)CRESTの研究プロジェクトなどで秘密計算の研究に従事。2016年にEAGLYS株式会社を創業。
アイデアはある。でも特許を全部取るリソースと資金がない
EAGLYS(イーグリス)は、データを暗号化したままAI解析や検索を行う「秘密計算」技術をコアに、企業向けのデータ連携基盤を展開している。創業初期は、「DataArmor(データアーマ)」シリーズとして既存システムに追加導入できる形で技術提供を進めていた。
当時、今林氏が最も悩んだのは「何を特許として押さえるか」だったという。
「アイデア自体はいっぱいあったんです。ただ、スタートアップはリソースも資金も限られており、どうしても件数を絞らなければなりませんでした」
資金が潤沢にあれば、複数の特許を同時並行で進めることもできるが、スタートアップにはその余裕はない。今林氏自身も営業活動などを抱えており、知財に割ける時間は全体の1割程度だったという。そこで今林氏が取ったのが「特許をまとめる」戦略だ。
大企業なら5件に分けて出願するような内容を1件に集約。その際に重要なのが、技術要素をどう整理し、全体像としてまとめるか。今林氏はこれを「木を描く感覚」に近いと話す。
「課題を“大きな木”として捉えて、どこに何がぶら下がるのかを整理していました」
個別技術を断片的に出願するのではなく、全体構造として整理することで、後から周辺領域へ拡張しやすい知財設計につなげていった。
CEO・知財PM・弁理士。三位一体の体制づくり
さらに限られたリソースで知財活動を進めるため、独自の体制づくりも進めた。
今林氏は、自身の頭の中で発明の方向性や構造は整理できていたものの、それを継続的に特許として整理・翻訳していく負荷の解消が課題だったという。そこで、外部弁理士とは別に、“知財PM(プロダクトマネージャー)”のような役割を担う人材を採用。今林氏、知財PM、顧問弁理士の三位一体で、発明の整理や優先順位付けを進める体制を構築した。
ただ、その体制を機能させるには、今林氏の頭の中にある“木”の構造を可視化できる形にする必要があった。
「自分の中では、アイデアは木の枝のようにつながっていても、他の人には、一つずつバラバラの技術に見えてしまうんです」
例えば、暗号化データの保管、複数企業間でのデータ連携、AI処理の高速化、AIモデルの暗号化、データ検索機能など、構想の中には複数の技術要素が存在していた。今林氏は、それらを図として描き、「まずはどこを押さえるべきか」を整理していった。
「まずは個社が安全にデータを保管する仕組み。その次に、複数企業が連携する仕組み、という形で優先順位をつけていました」
こうした整理を行うことで、限られたリソースでも、どの特許を先に押さえるべきかを共有しやすくなったという。
投資家が最初に見るのは「特許はあるのか」
こうした知財体制を創業初期から整えていた背景には、今林氏自身の研究者としての感覚もあった。大学院時代から、特許によって技術を権利として確保するのは、論文執筆と同様の「研究者としてのお作法」という感覚だったそうだ。
一方で、より現実的な理由もあった。2019年の資金調達時、投資家から繰り返し聞かれたのが「特許はあるのか」という点だ。高度な秘密計算技術は、投資家にとって理解しやすい領域ではない。「『技術の細かい話はわからないが、特許はありますか?』と聞かれる場面が多かったんです」と今林氏は語る。技術の価値を説明するうえでも、知財は欠かせない要素になっていた。
「部品」ではスケールしない。個別DX案件で直面した壁
IP BASE AWARDでは、EAGLYSが創業初期から継続的に知財への投資を行い、技術の権利化だけでなく事業展開まで見据えた知財戦略を構築してきた点が評価された。ただ、現在の形にたどり着くまでには試行錯誤もあった。
創業初期は、秘密計算技術という“高性能な部品”を提供する立ち位置だった。今林氏は「自動車産業でいえば、エンジンやブレーキだけを作る部品メーカーに近かった」と振り返る。つまり、重要な技術は持っていても、最終的なサービスや市場を主導するのは完成車を市場に送り出す自動車メーカー、という構造だ。
象徴的だったのが、とある社会インフラ企業との取り組みだ。顧客企業は膨大なデータを活用した新規事業を模索しており、EAGLYSは、秘密計算によって安全にデータを扱う仕組みを提案していた。
ただ、当時の同社は「秘密計算という技術」を提供する発想が強く、事業全体を設計する立場には立てていなかった。結果として、プロジェクトはその企業の中のDX施策として閉じ、大きな事業展開にはつながらなかったという。
本来であれば、社会インフラ企業だけでなく、自動車会社や駐車場事業者なども巻き込み、企業横断のデータ連携基盤へ発展させる余地もあった。しかし、データを持つ大企業側が主導する構造では、EAGLYS自身が市場展開のスピードや方向性をコントロールしにくい。個別PoC(概念実証)を重ねても、ビジネス全体はスケールしづらかった。
「もっとアプリケーション側から設計していれば、事業の立ち上がりは早かったと思います」
この経験を通じて今林氏は、「技術を守る知財」だけでは足りないと痛感する。必要だったのは、どの業界で、誰が、どのように使うのかまで含めて設計する、“事業そのものの知財戦略”だった。
“部品”からプラットフォームへ。自社主導型ビジネスへの転換
その反省から生まれたのが、「EAGLYS ALCHEMISTA(イーグリスアルケミスタ)」だ。製造業や化学業界向けの企業間データ連携プラットフォームで、企業同士が機密データを開示せずに共同開発やAI解析を行える仕組みを提供している。
例えば、素材メーカーや加工メーカー、製品メーカーなどが、それぞれの実験データやシミュレーション結果を暗号化したまま持ち寄り、AIに学習させることで、新材料開発や研究開発の効率化につなげられる。
今林氏はこれを「部品の販売から、車そのものを提供する形への転換」と説明する。従来は、個別企業のDX案件ごとに秘密計算技術を提供していたため、プロジェクトが企業内部で閉じやすかったという。対してEAGLYS ALCHEMISTAでは、サプライチェーン全体をつなぐネットワークそのものを構築することで、より広い市場展開を狙っている。
知財戦略も変化した。秘密計算という要素技術だけでなく、「秘密計算×特定業界のデータ活用基盤」という形で、実際の利用シーンに近い領域まで特許を広げられるようになったという。
営業現場からも知財が生まれるようになった
EAGLYSの知財戦略でもう一つ特徴的なのが、知財を経営層や法務担当だけの仕事にしていない点だ。同社では、エンジニアだけでなく営業メンバーも知財活動に関わっているという。
例えば、他社特許の侵害調査では、弁理士に任せきりにせず、エンジニア自身が特許文献を読み込む。
「請求項の書き方や、図面の表現の仕方など、実際に見ないとわからないことが多いんです。エンジニアは細かいところを見るのが得意なので、向いています」
こうしたプロセスを通じて、自社がどこで差別化できるのかを理解し、新しい発明のアイデアにもつながっているそうだ。
さらに近年では、営業現場から知財の必要性が持ち込まれるケースも増えている。EAGLYS ALCHEMISTAの提案では、顧客企業や大手インテグレーターから「知財は押さえているのか」と確認される場面が多く、知財の有無が商談や事業推進に影響することを実感するようになったという。
そこで営業担当者が「どんな機能や仕組みが顧客に求められているのか」を整理し、エンジニアや知財PMと連携しながら出願につなげる動きも出てきている。
「営業担当が『これは特許が必要ですね』と言い始めたんです。そこで、自分たちで取り組んでみてほしい、と言ったら本当に動き出しました」
営業が顧客課題を持ち込み、エンジニアが技術に落とし込み、知財PMが抽象化する。創業初期にCEO主導で回していた知財活動は、組織全体へ広がっている。
知財は「守り」ではなく、事業を伸ばす武器になる
特に知財の効果を感じているのは、大手企業との協業や競合の場面だそう。EAGLYS ALCHEMISTAを展開する中で、大手ITベンダーやインテグレーターと競合するケースも出てきた。しかし、「秘密計算×業界特化型データ基盤」という形で知財と導入実績を積み重ねていたことで、「同じものを自前で作る」という動きを抑止しやすくなった。
「大手がゼロから同じものを作ろうとしなかったのは、特許と実績で押さえられていたからだと思います」
「請求項の書き方や、図面の表現の仕方など、実際に見ないとわからないことが多いんです。エンジニアは細かいところを見るのが得意なので、向いています」
もし知財がなければ、同様のプラットフォームが乱立し、価格競争やPoC競争に巻き込まれていた可能性もある。知財は、単に技術を守るだけでなく、事業の主導権を維持する役割も果たしている。
また、知財は大企業との交渉を進めるうえでの“信頼性”にもつながっている。今林氏は、知財を「水戸黄門の印籠」と表現する。
「今の大手企業やインテグレーターは、かなり知財を意識しています。特許を持っていることで、『ちゃんと技術を持っている会社だ』と理解してもらいやすく、話も進みやすくなるんです」
創業当初、投資家への説明のために始めた知財活動が、今は事業提携、顧客開拓、競争優位の確保など、ビジネス全体を支える基盤へと役割を広げている。
「技術がすごい」だけでは、事業は伸びない
今林氏は、自身の経験を踏まえ、ディープテック企業ならではの難しさについても語る。
研究開発の難易度が高いほど、どうしても技術そのものに意識が向きやすくなる。一方で、どれだけ優れた技術や特許を持っていても、それだけで市場が立ち上がるわけではない。
「今振り返ると、SaaS系の企業では当たり前にやっていることなんですよね。誰が使うのか、誰が決裁するのか、どんな課題を抱えているのかを理解する。でも、僕らはそこをかなり遠回りしました」
重要なのは、最終的な顧客や業界構造を理解することだと今林氏は話す。
「技術だけでなく、顧客側の課題にも関心を持つ必要があると思っています」
また、スライド資料がなくても顧客の課題について話せるくらいまで、業界理解を深めることが重要だという。技術の優位性だけでなく、顧客にとって本当に必要なものは何か。その視点を持つことで、技術を「部品」で終わらせず、事業として広げやすくなる。
AIエージェント時代を見据えた次の知財戦略
現在、今林氏が注目するのは、AIエージェント同士が自律的にデータをやり取りする未来だ。
2024年11月には企業内に埋もれた設計図・技術文書・日報等から、プロセス情報・ノウハウまでさまざまな業務データを安全に活用する統合型AIソリューション「EAGLYS Mining AI」シリーズを展開。さらに、AIデータプラットフォーム「EAGLYS ALCHEMISTA Labs」では、化学・材料開発の現場で大量に蓄積されている実験データをAIで探索・構造化し、開発を効率化する仕組みづくりを進めている。
企業だけでなく、AI同士が情報を受け渡しながら意思決定を行うようになれば、機密データを安全に扱うための秘密計算技術の重要性はさらに高まる可能性がある。その未来を見据え、同社はAI基盤に関する知財の確保も進めていく方針だ。

