CEOが語る知財
【「第6回 IP BASE AWARD」スタートアップ部門奨励賞】株式会社カルディオインテリジェンス R&D室 波多野 薫氏インタビュー
AIで心電図解析を革新 ― 事業戦略と知財戦略を一体化した挑戦
2019年に創業した大学発の医療機器開発スタートアップ、株式会社カルディオインテリジェンス。同社が開発する長時間心電図解析AIソフトウェア「SmartRobin」は、不整脈の一種で脳梗塞の原因になり得る“心房細動”の早期発見を支えている。これまで人力に依存していた心電図解析は膨大な時間と負担を伴い、解析結果が出るまでに1〜2週間を要することも珍しくなかった。SmartRobinの導入により解析業務は効率化し、すでに全国140を超える医療機関で運用が進んでいる。
こうした成果に加え、“必要最小限に絞り込んで精度を上げる”独自の知財戦略が評価され、第6回 IP BASE AWARD スタートアップ部門奨励賞を受賞。その立役者でもあるR&D室の波多野 薫氏に、臨床現場から立ち上がった開発の背景と知財の考え方を聞いた。
株式会社カルディオインテリジェンス R&D室
波多野 薫(はたの・かおる)氏
東北大学情報科学研究科修士、グロービス経営大学院経営学修士。半導体エネルギー研究所にて、研究開発部門のリーダーとして、研究開発を担当。クラリベイトにて、新規事業開発、営業マネージャを担う。2019年に株式会社カルディオインテリジェンスを共同創業し事業計画策定、資金調達、知財、基礎技術開発を担当。株式会社QDレーザ 社外取締役(現任)。東北大学特任教授(現任)。一般社団法人久野塾 執行役(現任)。
心房細動の早期発見に挑む「SmartRobin」 ― 心電図AIで臨床現場の効率化を実現
創業の原点にあるのは、臨床現場での声だ。CEOの田村雄一氏(循環器医師)を中心とする創業メンバーは、日々の診療のなかで「長時間検査で得られる膨大な波形データを人手で追い切るのは難しく、結果として患者さんへ長時間心電図の検査機会が十分に提供できていない」という課題を繰り返し目にしてきた。ホルター心電図検査(小型の機器を胸に装着して24時間以上連続で心電図を記録する検査)のような長時間検査では、1人あたり約10万拍という膨大な心拍波形が生まれる。症状が出たり消えたりする心房細動を確からしく捉えるためには、通常の健康診断で行う数秒の検査ではなく24時間や7日間といった長時間の検査が有用で、微細な波形の変化や発作様の断続的所見を丹念に追う必要があるが、人の目と手だけではどうしても限界がある。
「心房細動は治療法があるにもかかわらず、従来の検査では膨大なデータを人が目視で確認する必要があり、発見が遅れがちでした。脳梗塞につながる前に、早期に見つけられる仕組みが必要だったのです」(波多野氏)
こうした課題に対する答えとして生まれたのが、AIを用いた解析ソフト「SmartRobin」※1である。24時間検査を約3分、7日間の記録でも20分程度で解析可能な処理能力を備え、心房細動の検出において高い感度と精度を実臨床で示してきた。臨床研究での検証や学会発表も重ね、関連学会のコンセンサスステートメント(専門学会が最新の知見を整理し、臨床現場向けにまとめた指針文書)にも取り上げられるなど、標準化に向けた足場づくりが進んでいる。
※1 医療機器認証番号:302AHBZX00026Z00 販売名:長時間心電図解析ソフトウェア SmartRobin AIシリーズ

実装の現場では、効果が数字以上に具体的だ。データの取り込みから解析、レポート作成、医師による確認という一連の流れにAIを組み込むことで、再チェックに割いていた時間が圧縮され、判断に必要な所見が整理されて提示される。「診断結果が出るまで従来は1〜2週間を要することもありましたが、AIを導入することで解析が迅速化し、医師が次の治療方針を早く決定できるようになりました。現場からは“SmartRobinが心房細動の診断にあたって注目すべき箇所をスクリーニングして提示してくれるので、業務効率が改善された”という声を多くいただいています」と語るのは、エビデンス&クリエイティブ室の山根友紀子氏だ。健診で不整脈の可能性を指摘された受診者の精査、スマートウォッチの不整脈通知を契機とした自主的受診、アブレーション(心房細動に対するカテーテル治療)後のフォロー、脳梗塞後の原因探索など、多様な臨床シーンで活用範囲が広がっている。
クラウドベースでサービスが提供される点も、医療機関の運用に合っている。レポート様式のリニューアルやアプリケーションUIなど運用面の改善は、機器の入れ替えなく順次反映できる。必要な情報をひと目で把握できるレイアウトを志向しており、「医師によってはレポートをそのまま患者さんにお渡しするケースもあるようです」と山根氏。なお、心房細動の兆候をより早期に捉えることを目指す「SmartPAFin」※2もすでに医療機器承認を取得し、上市に向けた準備が進んでいる。
※2 医療機器承認番号:30600BZX00277000、販売名:発作性心房細動兆候検出ソフトウェア SmartPAFin シリーズ
患者データと営業力が支える、医療現場に根付くAI医療機器
カルディオインテリジェンスの強みは、AIそのものだけではない。高精度を支えるのは、患者同意を得て収集した膨大な心電図データだ。検査技師がアノテーション(AIが学習できるようにデータに意味付けやラベル付けをする作業)を行うことで、AI学習に資する“良質なデータ”を積み上げている。
また、医療機器として提供する以上、薬機法の認証を得ることは不可欠だ。多くのスタートアップが規制対応の負担を避けようとするなか、カルディオインテリジェンスは「治療につなげたい」という思いを優先し、あえて医療機器としての道を選んだ。「薬事を通すのは簡単ではありませんが、そこを経なければ医師に安心して使っていただけません。正規のルートで認めてもらうことが信頼につながると考えています」(波多野氏)
さらに見逃せないのが営業力だ。同社の営業担当者には、医療現場での勤務経験者が多い。「先生方にご紹介するときは『この検査フローのここに組み込むと効率が上がります』『他の医療機関ではこのように使っています』と具体的にお伝えしています。逆に“この場面では向きません”とも率直に伝えることで納得いただけるのです」(山根氏)
磨き上げた“美しい特許網” ― 知財戦略で世界標準を狙う
波多野氏は前職で研究開発部門のリーダーを務めた経歴を持ち、知財がライセンスと直結する環境でキャリアを積んできた。共同創業者としてカルディオインテリジェンスに参画した際も、事業戦略や資金調達を担いながら「特許は事業の核になる」と早くから強調してきた。最初期の特許は、彼女自身が描いた事業戦略から逆算して「この実装に必要だから」と発明申請書を書き、周囲を説得して取得したものだったという。当初は「ソフトウェア特許は役に立たない」という意見も多く、社内で議論を繰り返す日々が続いたという。
「他社が先に同じ特許を出してしまったら、私たちの製品が訴えられて差し止めになってしまう。すでに上市している製品が使えなくなっては医療機関に多大な迷惑がかかる――そう説明して、ようやく納得してもらえたんです。最初は本当に大変でしたね」と波多野氏は振り返る。彼女が粘り強く訴え続けた結果、少しずつ社内の理解が深まり、現在では特許を守ることが事業の根幹だという共通認識が根付いている。
同社の知財戦略の核は、事業計画からの逆算にある。狙いは三つ――①他社特許の回避により市場参入権を確保する、②コア技術やUI/UXの模倣を防ぐ、③将来の協業・ライセンスの基盤をつくる。いずれも“何を守るべき価値と定義するか”が起点だ。資金にも限りがある中で、網羅的に出願するのではなく、提供価値と収益に直結する領域に絞り込む。請求項のレベルで「事業上の意味」を問い続け、1件1件を磨き込むことで、少数精鋭の“美しい特許網”にしていく姿勢を徹底している。
波多野氏の啓蒙によって社内での知財リテラシーが向上した現在では、体制面でも妥協がない。新規出願や中間処理(審査対応)のタイミングで役員全員がレビューし、社長が請求項(特許請求の範囲)の書きぶりにまで踏み込む。具体的には、発明者・事業担当役員・知財の三者で徹底的に議論し、①新規出願時には「提供価値を守る」視点で請求項の必須要件を絞り込む、②中間処理時には事業戦略と補正案の整合を一件ずつ確認し必要に応じて修正する――という運用を徹底。さらに、出願の稟議申請では第1請求項案と「事業上なぜ出願が必要か」を添え、全役員の承認を取得することをルール化している。こうしたプロセスにより、“取るべきものだけを取る”という同社の方針が仕組みとして担保され、出願の質と納得感が両立している。
外部の特許事務所との連携は、“美しい特許網”を支えるもう一つの軸だ。必要に応じてセカンドオピニオンも活用しつつ、盲点を潰していく。現在は3社の弁理士事務所と付き合いがあり、創業時から継続している事務所もある。「私のほうで発明提案書の形で背景・解決したい課題・解決方法を整理し、ファーストクレームと限定案を複数並べて特許事務所に相談します。私は直接的な知財部門の実務経験があるわけではないので、プロセスそのものについても相談しながら学ばせていただいています」(波多野氏)。こうして社内外の視点を往復させることで、精度と納得感を両立させている。
国内の運用で磨いた方針は、海外展開にもつながる。海外ではPCTルート(国際特許出願)を活用し、優先度の高い地域から段階的に権利化。海外でも進める中で苦労もあったという。「米国特許法第101条がすごく難しくて。これについては、東京都のスタートアップ知的財産支援事業に採択され、伴走支援をしていただくことでかなり理解が進みました。アメリカは医療機器の巨大市場なので、今後も進めていきたいです」(波多野氏)。国内での設計思想を保ったまま、各地域の制度に合わせて展開するのが同社の基本線だ。
こうして磨き上げた特許群は、共同研究や外部との協業でも効いてくる。きちんとした特許を持っていることで対等に議論でき、相手の受け止め方も変わる。言い換えれば、知財は事業の守りであると同時に、信頼の基盤としても機能している。
第6回 IP BASE AWARD受賞のインパクトも小さくない。「INPIT(独立行政法人工業所有権情報・研修館)で支援をされている方とお付き合いがあり、応募を勧められたのがきっかけです。IP BASE AWARD スタートアップ部門奨励賞という外部評価は、社内にとって知財活動の妥当性を再確認する機会となりました。これまでは株主総会などで使う事業戦略や事業計画の中に『特許が強み』という内容は入れていなかったのですが、自信を持って表記するようになりました。社内ブランディング、社外ブランディング、どちらにも役立っていると思います」(波多野氏)
カルディオインテリジェンスは、AIと知財を事業の両輪に据えながら、心電図解析の新しいスタンダードを築こうとしている。心房細動から起こる脳梗塞の早期発見を支える仕組みを普及させ、世界に広げていくことが同社の次なる目標だ。臨床現場の課題に根差した開発と、必要最小限に磨き込む知財の設計――その積み重ねが、医療の標準化に向けた道を着実に切り開いている。
エビデンス&クリエイティブ室 山根友紀子氏(写真右)