スタートアップエコシステムと知財
【「第6回 IP BASE AWARD」スタートアップ支援者部門グランプリ 慶應義塾大学イノベーション推進本部 本部長 新堂信昭氏インタビュー】
研究で終わらせず、「仕組み」と「場」で事業につなぐ大学発スタートアップ支援の形
第6回IP BASE AWARD スタートアップ支援者部門グランプリに選ばれた慶應義塾大学イノベーション推進本部。知財とスタートアップ支援が両輪となる「2部門1室」体制、全学レベルの慶應スタートアップインキュベーションプログラム(Keio Startup Incubation Program: KSIP)の始動、そしてインキュベーション施設である慶應義塾大学信濃町リサーチ&インキュベーションセンター(CRIK信濃町)の開設など、さまざまな取り組みによりスタートアップの育成支援を行っている。イノベーション推進本部 本部長である新堂信昭氏に、大学の使命として“研究と教育の成果を世の中に届ける”ための仕組みと、次に目指す循環を聞いた。
慶應義塾大学イノベーション推進本部 本部長・特任教授
新堂信昭(しんどう・のぶあき)氏
アステラス製薬株式会社 創薬研究部門にてオンコロジー領域を中心とした上市薬 (XOSPATA®)および複数の開発化合物品の創出に貢献。オープンイノベーション部門、CVC部門にて欧米でのアカデミアとの提携やスタートアップへの投資実行、ジョイントベンチャー設立等を推進。研究企画部にて産官学連携に関わるアライアンスの統括マネジメントを経て、2024年より現職。保健学博士。
慶應義塾大学大学院 医学研究科 修了。
優れた研究成果を世の中へ届けることを目指す
慶應義塾大学イノベーション推進本部は、慶應義塾大学の本部組織として、学内で生まれる研究・教育の成果を社会へとつなぐ役割を担っている。学部・研究科やキャンパスを横断しながら、起業支援や知的財産の活用、産学連携の推進などを一体的に支える組織だ。
慶應義塾大学は、「未来のコモンセンスをつくる研究大学」をミッションとして掲げている。研究成果を新しい価値・産業につなげ、社会に浸透させるという考え方である。「大学の中には、いろいろな優れた研究や教育の成果があります。それを社会に還元するということを、大学の使命としています」(新堂氏)
そのミッションを具体的な活動として実装するため、イノベーション推進本部の体制はこの1年半で大きく変化してきた。現在、本部のメンバーは33名。その多くが産業界から参画した実務経験者であり、スタートアップ支援、事業開発、知財、人材育成など、それぞれ異なる専門性を持つ人材が集まっている。「前回の取材から1年半ほど経っていますが、増員や組織強化により、取り組み自体もかなり増えていると思っています」(新堂氏)
こうした体制強化の背景にあるのは、研究成果を社会に届けるまでのプロセスが、年々複雑になっているという認識だ。研究として成立していても、そのままでは事業化につながらないケースは少なくない。起業、経営者候補探索、ライセンス、資金調達、知財戦略など、複数の論点を平行して検討しなければならない場面が増えている。
「研究としては成立しているけれど、事業化はまだ遠い、という風に見られてしまう分野もあります。そこをどうやって社会実装につなげていくか、大学として解決策を検討する必要があります」(新堂氏)
研究者が持つシーズを、どのタイミングで、どの出口につなげるのか。その判断を個々の研究者だけに委ねるのではなく、組織として支える必要がある――イノベーション推進本部は、そうした問題意識のもとで役割を拡張してきた。
“出口”から考える知財とスタートアップ支援
イノベーション推進本部の大きな変化の一つが、組織体制の再編だ。“3部門1室”だった体制を整理し、現在は「知的資産部門」と「スタートアップ部門」の2部門に、部門間連携強化を図る「戦略企画室」を加えた“2部門1室”体制へと移行している。
背景にあるのは、産学連携や起業支援を取り巻く環境だ。慶應義塾大学では、共同研究そのものの支援は各キャンパスで長年にわたり行われてきた。一方で、研究の成果をどのように事業につなげるのか、つまり共同研究の“出口”に近い部分については、キャンパス単位では対応しきれない場面が多いという。
「共同研究が始まった後、発明が生まれたり、起業したり、企業にライセンスしたりといった出口の議論はよりビジネスに近く、総合的な検討が必要になります。そこは多様な専門家がいる本部が中心となり進めています」(新堂氏)
こうして、知財化の支援や技術移転を担う知的資産部門と、大学発スタートアップの育成を担うスタートアップ部門を、同じ組織の中で両輪として機能させる体制が整えられた。現在は、両部門が参加する合同ミーティングを毎週実施し、個別の研究や案件について議論を重ねている。
「この教員の研究は、起業がいいのか、事業会社へのライセンスがいいのか。あるいはその両方を視野に入れるのか。そういう課題を、知財とスタートアップの両部門が一緒になって検討しています」(新堂氏)
特徴的なのは、出口戦略をあらかじめ一つに定めず、ケースに応じて最適な手段を選んでいる点だ。起業を前提に支援を進めていた案件が、議論の過程で既存企業へのライセンスへと方針転換するケースもあるという。その際、スタートアップ部門から知的資産部門へと案件をバトンタッチし、組織内で自然に役割が切り替わる。「出口ありきではなく、より適した形で、社会実装につながることがベストだと考えています」(新堂氏)
研究成果を「守る」だけでなく、「どう使うか」「どう社会に届けるか」までを一気通貫で支える。そのための組織設計が、イノベーション推進本部の中核に据えられている。
起業前から相談できる仕組みと新拠点「CRIK信濃町」
イノベーション推進本部では、スタートアップ支援の基盤となる仕組みや場の整備を進めてきた。
そのひとつが、慶應義塾大学において研究成果の事業化を目指し、ディープテックスタートアップの創業と成長を支援する全学レベルのインキュベーションプログラムである慶應スタートアップインキュベーションプログラム(KSIP)だ。KSIPは大学に所属する教職員・学生が創業メンバーの主体として参画するグループを対象にした、学内の公式プログラムである。「発明や技術を世の中に出すときに、大手企業にライセンスするのか、それとも自分たちでスタートアップを立ち上げるのか。大きくはこの二つの手段があって、どちらも私たちの部門で促進・強化する体制を取っています」(新堂氏)
学内の研究者に声をかけ、応募・審査を経て採択されたチームに対し、スタートアップ部門が中心となって伴走支援する。研究者とスタートアップ部門が一緒に動き、同じ部署にいる知財担当者も初期段階から関与する。
「採択されたらそこからインキュベーションプログラムが始まります。研究者とスタートアップ部門が一緒に伴走して、知財のメンバーも必要に応じて入りながら進めています」(新堂氏)
事業計画の検討、特許やライセンスの扱い、資金調達の方針、時には経営者候補の探索などを同時並行で議論・検討し、起業に進む場合には、法人設立後も一定期間支援を続ける。初回のエクイティファイナンス、典型的にはVCからの最初の資金調達までを一つの区切りとしている。また、審査段階から大学VCである慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)が関与し、スタートアップ部門、知財部門、VCが研究者のチームを囲む形で検討を行っている。
KSIPのほかにも、医療分野を中心とした国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「橋渡し研究プログラム(大学発医療系スタートアップ支援プログラム)」も活動している。慶應義塾大学はその支援拠点の一つとして採択され、慶應義塾スタートアップ推進拠点(Keio Biomedical Accelerator)にて医薬品や医療機器など医療領域特有の長い研究開発プロセスを支える役割を担っている。
こうした仕組みを受け止める拠点として誕生したのが「CRIK信濃町」だ。CRIK信濃町は、「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」および「地域中核・特色ある研究大学の連携による 産学官連携・共同研究の施設整備事業」の助成を受けて、2024年5月29日に信濃町キャンパス内に開設されたインキュベーション拠点である。「支援の仕組みや制度があっても、どこに行けば相談できるのか分からないという声もありました。ワンストップで、いつでも相談できる場を作ることも重要だと考えました」(新堂氏)
CRIK信濃町では、独自のデータアクセスルームを整備し、慶應義塾大学病院の医療データの活用方法をデータサイエンティストと相談しながら共同研究を行うこともできる。医療データの活用は研究ごとに審議のうえ、患者さんの同意を得て行われる。
CRIK信濃町には、個室、専用デスク、ラウンジなど複数の会員区分が用意され、一定の審査を経れば法人登記も可能だ。慶應義塾大学に由来する研究シーズやビジネスモデルを持つスタートアップに限らず、起業を目指す個人や団体、スタートアップ支援に関わるベンチャーキャピタルや専門家、共同研究を志向する企業など、学外のプレイヤーも利用できる。開設から間もない現在でも、31部屋ある個室の約8割がすでに埋まっており、研究者やスタートアップ、事業会社が集まる拠点として利用が進んでいる。
CRIK信濃町には、過去にIP BASEで取材した株式会社坪田ラボも入居するなど、実際の利用も進んでいる。
IP BASE AWARD受賞を追い風に、大学発スタートアップ・エコシステムを育てたい
イノベーション推進本部の取り組みを貫いているのは、知財やスタートアップを個別のテーマとして扱うのではなく、大学の使命そのものとして捉える姿勢だ。
「私たちが大学の中でこういう仕事をさせていただいているのは、教育や研究という大学の中の優れた成果を、社会に届けるためです。特許もそのひとつで、新しい産業として世の中に届けることが大学の使命だと思ってやっています」(新堂氏)
一方で、大学だけですべてを完結させることはできないとも、新堂氏は率直に語る。研究成果を事業として育てていくには、大学の外にいる多様なステークホルダーの力が不可欠だ。
「自分たちだけで全てを担うのは難しい。だからこそ、様々な専門性を持った仲間や共通の想いを持った応援者の皆さんがとても大切なのです。大学発のスタートアップ・エコシステムを盛り上げながら、多様なステークホルダーとの連携を実践していきたいと思っています」(新堂氏)
こうした考え方は、慶應義塾大学一校に閉じたものではない。大学発スタートアップを通じて社会をより良くしていくという方向性そのものは、多くの人が共有できる目標だと新堂氏は考えている。
「日本全体・社会全体のよりよい未来のために協働しましょう、という考えには皆さん賛成だと思うんです。ただ、それを“どのように一緒に実現するのか”が難しい。共感できる目標や、実行できる体制を作ったり、共創できる関係や仕組みを作ったり、時には汗をかき合いながら、信頼し合って進めていくことが重要だと思っています」(新堂氏)
こうした姿勢や体制が評価され、慶應義塾大学イノベーション推進本部は第6回 IP BASE AWARD スタートアップ支援者部門のグランプリを受賞した。「受賞後は企業や他大学からもヒアリングを受けるようになりました。コミュニケーションの機会が増えたのを実感しています」(新堂氏)
「今の仕組みや体制に関しては、継続しつづけることが大切だと思っています。そこからモデルとなるような実例がひとつでも多く生まれ、そして、そこでの経験を培った研究者や起業家の方々がまた何らかの形で大学の次世代の人たちに伝えてくれるようになることを期待しています」(新堂氏)
成功だけでなく、失敗も含めた経験が共有されることで、挑戦の裾野は広がっていく。「身近な人が起業にチャレンジして、その過程や結果を周囲に語ってくれると、私たちが語る以上に効果があります。そうやって少しずつ全体が変わり、よい循環が生み出されていくのではないかなと思っています」(新堂氏)
支援する側、応援する側を含めたステークホルダー全体が、そうした経験やナレッジを積み重ねていくこと。それが結果として、日本全体のスタートアップ環境を底上げしていく──新堂氏は、そんな循環を思い描きながら、日々の実務に向き合っている。

